歌舞伎編「黙阿弥」

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TOP > 作品の紹介 > 代表作品(都鳥廓白浪~鑑賞のポイント~)
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作品の紹介

代表作品

都鳥廓白浪

概要
あらすじ
鑑賞のポイント
コラム
ポイント1 割台詞(わりぜりふ)と竹本(たけもと)

 「長命寺堤(ちょうめいじづつみ)の場」には、黙阿弥による演出の工夫が2点あります。1つは、梅若丸(うめわかまる)と忍ぶの惣太(しのぶのそうだ)が「割台詞」を言う点です。これは、両者が別々の想いを交互に述べ、最後に共通の結論を同じセリフで同時に言う手法です。もう1つは、惣太による梅若丸殺しを、竹本(たけもと:歌舞伎で使用する義太夫節)にのせて演じる点です。
 原作『桜清水清玄(さくらさくらきよみずせいげん)』で惣太を演じたのは、堂々とした風貌(ふうぼう)に重厚な芸風の2代目中村芝翫(なかむらしかん、のちの4代目中村歌右衛門[なかむらうたえもん])でした。一方、容貌(ようぼう)に恵まれず口跡(こうせき)も悪かった4代目市川小團次(いちかわこだんじ)は、盲(めくら)が子役を殺すだけの役は気が乗らないと機嫌を損ね、自分の柄(がら)にはまるよう、書き直しを要求しました。そこで黙阿弥が加筆したのが、この2つの演出です。
 これは上方(かみがた)で修業を積み、義太夫狂言を得意とした小團次の技芸をいかすための工夫でしたが、殺す者と殺される者の心理を丁寧に描くことで、より深い人間ドラマが生まれたことも重要です。この試行錯誤が認められ、黙阿弥は小團次から信任を得たのです。

ポイント2 だんまり

 「長命寺堤の場」は、だんまりで幕切れとなります。これは暗闇の中で数名がゆっくりとした下座音楽(げざおんがく:歌舞伎の効果音)にのり、探りながら動く様式的な演出です。この場に登場するのは、廓(くるわ)から逃げ出してきた遊女の花子(はなこ)、男伊達姿の惣太と葛飾十右衛門(かつしかじゅうえもん)、按摩(あんま)の宵寝の丑市(よいねのうしいち)です。桜が満開の川岸にこの4人が居並ぶ構図は、動く錦絵といった美しさです。ここで奪い合う2百両と吉田家の系図は、のちの場面の伏線となります。
 しかし初演のだんまりに花子は登場しておらず、花子が加わるのは文久3年(1863年)の再演からのことです。このとき花子を演じたのは、3代目岩井粂三郎(いわいくめさぶろう、のちの8代目岩井半四郎[いわいはんしろう])でした。粂三郎は安政6年(1859年)の『小袖曽我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)』で十六夜(いざよい)を演じ、遊女の部屋着である「胴抜き(どうぬき)」姿で隅田川に来る美しさが、大変な評判となりました。粂三郎の「胴抜き」姿を再び見せるために、再演ではだんまりに花子が加わり、その後定着したのです。

ポイント3 おまんまの立廻り

 「原庭按摩宿(はらにわあんまやど)の場」の最後に、とうとう天狗小僧霧太郎(てんぐこぞうきりたろう)に手配が廻ります。しかし霧太郎は捕手に踏み込まれても悠然と、手下の木の葉の峰蔵(このはのみねぞう)がよそう飯を食べ続けます。これは「おまんまの立廻り(たちまわり)」と呼ばれる趣向(しゅこう)ですが、原作『桜清水清玄(さくらさくらきよみずせいげん)』をそのまま踏襲(とうしゅう)しています。
 そもそも「おまんまの立廻り」は、4代目鶴屋南北(つるやなんぼく)が文政2年(1819年)上演の『梅柳若葉加賀染(うめやなぎわかばのかがぞめ)』のなかに書いた趣向です。『桜清水清玄』の作者である2代目勝俵蔵(かつひょうぞう)は南北の息子で、作中に父の趣向を多く利用していますが、「おまんまの立廻り」もそのひとつです。『梅柳若葉加賀染』と『桜清水清玄』は今日上演されませんが、「おまんまの立廻り」は『都鳥廓白浪』のなかに残り、江戸歌舞伎の大らかな味わいを今に伝えています。

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