能楽[能・狂言]の歴史


安土桃山時代は、能が大きな変化をとげた時代です。その引き金となったのは絶対的権力を握っていた豊臣秀吉(とよとみひでよし)の政策です。彼が能に心を奪われるようになったのは晩年ですが、その熱中ぶりは妻への手紙に「能の稽古で忙しい」と書くほどでした。秀吉の情熱は自分で能を稽古しただけにとどまりません。1594年[文禄2年]天皇の住まいでの能の催し[禁中能]や、みずからの功績を題材とした能「太閤能」の新作など、他の権力者以上に能にのめり込んでいきました。さらに、自分が贔屓にしていた金春(こんぱる)をはじめ、観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金剛(こんごう)のいわゆる大和四座の役者たちに給与[配当米]を与え保護することで、支配下におきました。他の多くの座は大和四座に吸収されたり消滅したりしましたが、この保護政策が次代にも受け継がれたおかげで、能は今日まで続くことができたともいえます。