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作者とその時代―作品がもたらした影響

時代と人形浄瑠璃

8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の行った享保の改革は、増税と倹約政策を中心に、幕府の財政を立て直そうとするものでした。倹約は庶民の生活の隅々に及び、特に貨幣経済の中心だった「天下の台所」大坂の人々にとっては、不景気の上に、あれこれ制限され圧迫されている、という感が強かったに違いありません。庶民の娯楽については開放的な気分はことごとく失われ、出版取り締まりの徹底、心中物の禁止令など、演劇界にも強い影響を与えます。享楽的でお金のかかる歌舞伎は、縮小・低迷を余儀なくされました。

それに対して、人形浄瑠璃は、興行が小規模なうえ、歌舞伎ほど派手な印象がなく、質素倹約の改革精神に合ったのでしょうか。大坂は、将軍お膝元ではないという多少の気楽さ、また、いわゆる「お上」に全幅の信頼をおかない大坂人の気質などもあいまって、歌舞伎はともかく、自分たちが生み出し育ててきた人形浄瑠璃だけは手放すまい、という意地が、人形浄瑠璃の隆盛を裏で支えていたかもしれません。

浄瑠璃丸本『大塔宮曦鎧』

『大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)』初段「つはものまんざい」の政治・社会批判が筆禍事件に。

享保8年(1723年)大坂竹本座初演『大塔宮曦鎧』[近松門左衛門添削・竹田出雲・松田和吉合作]「つはものまんざい」の一枚刷絵図がお触れにより発禁となります。
この作品の一部「つはものまんざい」が一枚刷となって売られ、評判になり、その内容から処罰を受けました。

翻刻:むかしの京はなんばの京。中ごろはならの京。今の京と申すは。よろづよこしまであの御天子はゞからず。我まゝはたらく平の京。京のしおきはくはんとうまかせみやがたひづめ公家衆たをし。百姓せたげ。町人いじり。民は又ぎつちり/\。まことにむねんにさふらひける

現代語訳:「今の京」江戸幕府を暗示しています。「天皇を畏れつつしむこともなく我儘な政を行う平氏の代のようで」御当代徳川家は、源氏の流れであるから「平」ではないけれど「松平」を暗示しているでしょう。経済政策によって、宮方[皇族]を責めさいなみ、公家衆[貴族]を滅びに向かわせ、百姓をいじめ、虐げて、町人を苦しめ、いじめています。民の生活は行き詰って、息苦しく、身動きもとれないでいるのです。締め付けの厳しい政治であることを、上方の庶民が実感していたことが、如実にわかります。

浄瑠璃丸本『大塔宮曦鎧』
(早稲田大学演劇博物館所蔵)


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