能楽

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世阿弥の業績

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夢幻能(むげんのう)

能は、現在能(げんざいのう)と夢幻能の2種類に大きく分けられます。生きている人間のみが登場する現在能に対し、霊的な存在が主人公となる夢幻能は、特に能に特徴的なものです。その典型的な構成は、次のようになっています。

旅の僧など(ワキ)が名所旧跡を訪れると、ある人物(前シテ)があらわれて、その土地にまつわる物語をします。その人物は他人事のように物語をしてから消えるのですが、実はその物語における重要な存在であり、仮に現実の女性や老人などの姿をとっているにすぎないのです。ここでシテがいったん舞台から退場することを「中入(なかいり)」といいます。その後、ワキが待っていると、今度は先ほどの人物が、亡霊、神や草木の精など、本来の霊的な姿を明示しながら登場し(後シテ)、多くの場合クライマックスには舞を舞います。「夢幻能」という名称は、霊的な存在があらわれたのがワキの夢の中とされていることにもよっています。

能 (宝生流) 『忠度』【前場】 平成18年3月1日 国立能楽堂

能 (宝生流) 『忠度』【前場】
平成18年3月1日 国立能楽堂
〔前シテ〕佐野萌 [浦の老人]

宝生流『忠度』 佐野萌

能 (宝生流) 『忠度』【後場】
平成18年3月1日 国立能楽堂
〔後シテ〕佐野萌 [平忠度]

夢幻能の中でも人間が主人公となる曲では、シテの亡霊はワキの僧の弔(とむら)いにより成仏することを願って登場し、特に後半で昔を回想したり、再現したりすることが多くなっています。そうした宗教的な枠組みを離れた曲もありますが、いずれにしても多くの夢幻能では、特にシテに焦点があたるため、「シテ一人主義」といわれることもあります。夢幻能は、ある一人の生涯の中での特別なエピソードと、その内面の心情を描き出すのにとても効果的な構成を持っているのです。

シテが中入を挟んで2度登場する曲では、前半を前場(まえば)、後半を後場(のちば)といいます。ただし、夢幻能には『清経(きよつね)』『経正(つねまさ)』『西行桜(さいぎょうざくら)』などのように、1場構成で、亡霊や精の本体のみが登場する曲もあります。

霊的な存在が登場する夢幻能が、重要な作品群となるような能の世界。そこには、死や異界が現代よりずっと身近にあった生活の中で、人間の生を深く見つめ考えていた世阿弥たちの姿が透かし見えるようです。

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