

世阿弥は、父・観阿弥(かんあみ)の後を受けて、能を飛躍的に高め、今日にまで続く基礎を作った天才といえるでしょう。生涯を通してどのような能が感動を呼ぶのか探求し、手ごわいライバルがいたにせよ、足利義満(よしみつ)・義持(よしもち)の2代の将軍の時代を通して、一定の評価を得ることに成功します。ライバルの芸の長所を取り入れることもうまく、特に犬王(いぬおう)の天女舞(てんにょまい)を大和猿楽に取り込むことなどにより、物まねの面白さが中心だった大和猿楽の能を、美しい歌と舞が中心となる能に洗練させました。
世阿弥は能の台本を作ることをとても大切にし、世阿弥の時代に能の数は格段に増えています。その中で、人間の心理を深く描き出すことのできる「夢幻能(むげんのう)」という劇形式を完成させたことは、大きな業績です。また、和歌や連歌の技法をふまえて、詩劇と呼びうるような文学的情緒にあふれた能の台本を制作する方法も確立しました。
しかし、世阿弥は能の作品を作り、それを演じただけではありません。自分の体験をもとに、すぐれた能楽論を残したことも大きな成果です。世阿弥の伝書は『花伝(かでん)』や『花鏡(かきょう)』をはじめとして、息子の元能(もとよし)が世阿弥の芸談をまとめた『世子六十以後申楽談儀(ぜしろくじゅういごさるがくだんぎ)』も合わせると21種にも及びます。これらの能楽論において、世阿弥は自分で新しい言葉を作りながら能をとりまく様々な問題を論じていて、そこにはある種の普遍性をもった、合理的で力強い知性がうかがえます。その内容は、現代の世界の演劇関係者にも大きな影響を与えているのです。
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