謡曲とは、能の声楽部分のことで、謡(うたい)とも呼ばれています。主人公のシテやその相手役のワキなどによって謡われる「役謡(やくうたい)」と、登場人物以外の演者たちによって斉唱される「地謡(じうたい)」で構成されます。フシの部分と、コトバの部分がありますが、コトバ部分にも一定の抑揚があり、演劇の「せりふ」とは異なります。また、フシ部分にはリズムに乗る「拍子合 (ひょうしあい)」と、リズムに乗らない「拍子不合(ひょうしあわず)」があります。謡曲の詞章は、七五調を基本に、八拍で一句を構成しています。今日に至る能の基礎は、室町時代、将軍の足利義満(あしかがよしみつ)*1[1358-1408]に庇護された観阿弥(かんあみ)、世阿弥(ぜあみ)の父子が築きました。
- *1足利義満(あしかが よしみつ):
室町幕府の第3代将軍。京都・室町に花の御所を造営して政治を行い、1392年には南北朝を合体させました。1401年には明に朝貢して正式国交を開き、勘合貿易(かんごうぼうえき)を始め、日本からは刀剣・扇・屏風などを輸出、明国から銅銭・絹織物・書画などを輸入しました。また、京都北山に金閣を建立するなど、室町文化に大きな影響を与えることになりました。
「寺子屋の教材にもなった謡曲」
江戸時代の寺子屋では主に男子を対象に謡曲を教えていました。謡曲の詞章は実用的な教育を重んじる寺子屋で、手軽に文字の読み書き、地理や歴史、和歌、道徳など様々な知識が得られる教材として重宝されたようです。

部分 東京国立博物館所蔵
