箏は、奈良時代直前に大陸より伝来し、雅楽の主要楽器として愛好されていました。室町時代末期に、福岡県久留米の善導寺(ぜんどうじ)の僧、賢順(けんじゅん)[?-1631]が箏の弾き歌いの筑紫流箏曲(つくしりゅうそうきょく)を樹立します。近世箏曲の基礎を作り上げたのは、その筑紫流箏曲を学んだ八橋検校(やつはしけんぎょう)*1[1614-1685]です。八橋検校は、歌曲の「組歌(くみうた)*2」13曲と、器楽曲の「段物(だんもの)*3」3曲を制定し、また箏曲に用いられる「平調子(ひらぢょうし)」という調弦を考案するなど、今日の生田流(いくたりゅう)、山田流(やまだりゅう)の箏曲の原型を作りました。