天台宗系の声明
最初に
開祖
最澄
が唐から天台声明を伝えていますが、その基礎を作り、体系的に整えて伝えたのは第3代天台座主(ざす)の
円仁
です。円仁の後、7つの流派に分かれてしまった天台声明を再び1つにまとめて大成させたのが、中興の祖といわれる
良忍
です。
また、平安末期から鎌倉時代にかけて生まれた新たな仏教宗派の開祖は比叡山(ひえいざん)で学んだ僧侶が多く、その声明は天台声明の流れを汲(く)むものを受け継いでいます。
真言宗系の声明
開祖である
空海
が、遣唐使として唐にわたって密教を中心に仏教を学び、声明を伝えました。のちに中興の祖といわれる
寛朝
が整備して大成しています。
その後、宗内で分派し、現在は、古義(こぎ)派とよばれる、高野山に伝わる南山進流(なんざんしんりゅう)、新義(しんぎ)派とよばれる、智山(ちさん)声明、豊山(ぶざん)声明などが継承されています。
ダイナミックで力強い唱えに特徴があります。
- 豆知識 古義派と新義派
- 真言声明には、大きく2つの流れがあります。ひとつは高野山を中心とする南山進流の声明で、古義派とよばれます。これに対するのは、
覚鑁
が、紀州(和歌山県)の根来寺(ねごろじ)に移って分派したことで生まれた新義派の声明です。この新義派はのちに、京都の智山派、大和(奈良県)の豊山派に分かれています。
古義派は、東寺(とうじ)、仁和寺(にんなじ)、醍醐寺(だいごじ)などおもに関西圏の真言宗寺院に伝わり、また南都(奈良)の寺院でもその法会で古義声明を用いているといいます。新義派は、護国寺(ごこくじ)、平間寺(へいけんじ:川崎大師)、新勝寺(しんしょうじ)などおもに関東圏の寺院に伝わっています。
ちなみに、根来寺はその後も残った僧侶によって護持され、現在は新義真言宗の総本山となっています。
南都仏教系の声明
仏教の伝来当初、中心地となった南都(奈良)には6つの宗派がありました。ただ、独立した宗派というよりは、仏教教義を学び合う学派という意味合いが強く、仏教儀式が整い始めると互いに行き来して勤めていたといいます。そのため、南都(奈良)六宗に共通する声明曲は音楽的にも共通していたと考えられています。
浄土教系の声明
平安時代になると、仏教が廃れてしまうという 末法思想 が広まり、人々は不安に思うようになりました。こうした不安から人々を救うために興ったのが浄土教です。これは念仏(阿弥陀如来の名を唱える)によって極楽浄土に生まれ変わるという教えです。この教えをもとに、融通念佛宗や浄土宗、浄土真宗、日蓮宗が開かれました。これらの開祖となった僧侶たちは、比叡山で仏教を修学したものが多く、そうした宗派では、儀式において天台声明を受け継ぐ声明が唱えられています。
融通念佛宗の声明
天台声明の中興の祖といわれる良忍が開いた融通念佛宗には、良忍直伝の天台声明が伝わっています。またその一方で、その教えを広める中での僧侶と市民の交流や、念仏勧進の中で生み出されたという、独自の声明も伝わっています。
- 豆知識 二十五菩薩
- 念仏を唱えて極楽往生を願う者を、臨終の際に極楽浄土から阿弥陀如来とともに迎えに来る25の菩薩の一団をいいます。菩薩が民衆を極楽浄土に導く様子を現すのが二十五菩薩来迎会です。
浄土宗の声明
開祖である 法然 が、天台宗僧侶の叡空(えいくう、生年不詳-1179)を師として比叡山で修学していたことから、天台声明の影響を受けています。また宗派の儀礼内容に応じた独自の声明も伝えています。特に専修念仏(せんじゅねんぶつ:ただひたすらに「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える)の教えが、広く一般に伝わったことにより、民間に流行した音楽の影響を受け、さまざまな節の念仏の唱え方が生まれています。
浄土真宗の声明
開祖 親鸞 が比叡山で修学していたことから、浄土真宗の声明は天台声明の流れを汲(く)んだものとなっています。山を下りた親鸞は浄土宗開祖である法然の「専修念仏」の教えに触れ、のちに高弟となりました。そのため法会においてもさまざまな念仏を唱えます。
時宗の声明
開祖の 一遍 が浄土教学を修学したことから、浄土宗の儀礼を礎として、その声明は独自の展開をしています。南無阿弥陀仏を唱える念仏を拠り所とし、とくに鉦(かね)や太鼓などを打ち鳴らして念仏を唱えながら踊り歩く踊念仏(おどりねんぶつ)が知られています。
- 豆知識 踊念仏
- 日本仏教の中で 空也 や一遍が広めた念仏をいいます。太鼓や鉦で拍子をとって踊りながら念仏や和讃(わさん)などを唱えます。特に一遍は徹底して口称念仏(くしょうねんぶつ)を民衆に説き、伝えたことから、その踊念仏は民俗宗教的な面を見ることができます。のちにその教えは薄れつつも、踊りは人々の中で芸能化して、数々の民俗芸能に影響を与えています。こうして踊りが主体となったものを念仏踊(ねんぶつおどり)といっています。
日蓮宗系の声明
開祖 日蓮 が比叡山で修学していたことから、その声明はもともとは天台声明の流れに属するもので、近代に至るまでは各本山それぞれの形で伝承されてきました。昭和に入り、宗内全ての僧侶が同じ声明を唱え、 礼拝 の所作をすることを目的として統一基準が定められました。そのために旋律を単純で判りやすく、男女を問わず唱えられるようにした独自の声明を伝えています。
禅宗系の声明
中国では南宋(なんそう、1127-1279)の頃より、禅宗という新しい仏教が発展していました。これは座禅を中心とした修行により悟りを開くという教えで、宋に渡った日本の僧侶が修学しその教えを広め、また江戸時代には中国明代の禅宗も伝わりました。禅の声明は他宗と比べて音楽的な要素は少ないものの、儀式では太鼓や鉦(かね)などの鳴らしものを多く用います。