琉球の芸能

琉球の文化りゅうきゅうのぶんか

 古来、沖縄の各地には、神々がいる場所であり、祖先神を祀(まつ)る場所でもある聖域があります。地域でよび方はさまざまですが、総称として御嶽とよびます。この御嶽を中心にさまざまな祭事が行われ、そこで行われていた歌や踊が、徐々に広く民間に伝わっていきました。さらに中国より三線(さんしん)が伝わったことで、音楽として飛躍的に発展し、数多くの歌や踊が作られました。

 一方で、1429年に沖縄本島の首里(しゅり)城を中心に南方の島々を統治(とうち)した琉球王国が、中国や東南アジア諸島、日本などとの交易で発展しました。交易のある国々から伝わった文化をもとに独自の文化が形成され、特に芸能や美術工芸などは王国が管理しました。そのため、古典芸能は首里士族が担い、踊り手はすべて男性の役人でした。しかし、1879年に王国が滅亡したことで、芸能を担っていた役人たちが職を失い、市井(しせい)に下って沖縄芝居や民謡を作り、人々の娯楽として親しまれていきました。また宮廷で行われていた組踊なども沖縄各地に広まり、地域色豊かに受け継がれています。

  • 獅子舞
    全身を毛でおおわれた二人立(ふたりだち)の獅子で、激しく舞います。
  • 棒踊
    おもに2人1組で、太鼓や銅鑼(どら)、掛け声に合わせて棒を激しく打ち合せて踊ります。
  • 沖縄民謡
    蛇の皮を張った三線(さんしん)の伴奏にのって唄います。
  • エイサー
    沖縄を中心にお盆の時期に踊られる盆踊りです。
  • 組踊
    セリフ、音楽、踊りで構成される沖縄の歌舞劇です。
  • 狂言(キョンギン)
    日本や中国の影響を受けながら成立した沖縄の芝居で、笑いを通して表現するセリフ劇です。

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