風流という言葉は、もともとは“都の洗練された美”を意味し、“みやび”とよまれていました。そして、平安時代の頃に、都風に洗練された衣裳や道具などの美をたたえる言葉となって、“ふりゅう”とよまれるようになりました。

今ほど医学が発達していなかった頃の日本では、人を死に至らしめる流行病(はやりやまい)は、この世に恨みをもった霊や厄をもたらす神などに原因があると考えられていました。そしてこうした怨霊(おんりょう:恨みをもち、人をたたる生者や死者の霊)を鎮め、厄神を祓(はら)うために、賑(にぎ)やかに笛や太鼓、鉦(かね)などの楽器で囃(はや)しながら、歌い、踊って地域一帯を練り歩いたのです。やがて、衣裳や道具などの見た目に工夫を凝らすようになっていき、美しく着飾った人々が集団で演じる芸能や祭礼そのものを風流とよぶようになりました。
このような集団芸能をきっかけとして、山車(だし)を曳(ひ)くものや仮装して練り歩くもの、太鼓を打ち鳴らして踊るもの、念仏を唱えながら踊るものなど、その目的や地域の特色によって独自の特徴をもった風流芸能が数多く生まれました。

