笑いの民俗芸能

「三番叟」(岳神楽)

 民俗芸能ってつまらなそう、って思っていないでしょうか。確かに退屈なものもあるのかもしれませんが、思わず笑い出してしまうような民俗芸能もあるのです。

 笑いと言えばまず思い出すのが、漫才(まんざい)かもしれません。この漢字を使うようになったのは昭和初期からですが、元来は「万歳(萬歳)」と表記しました。平安時代には既に行われていたというほど、古い歴史があります。といっても、もともとはお笑いの芸ではなく、訪れた先の貴族などに対して「千秋万歳(せんしゅうばんぜい・せんしゅうばんざい)」、つまりは長寿を祈る芸でした。これが各地に伝わり、民俗芸能化した万歳が、現在でも演じられています。中でも古いのは三河(みかわ)万歳や尾張(おわり)万歳。太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)と呼ばれる2人がペアを組んで、おめでたい話芸を繰り広げます。歴史的にみると、やがて笑いの要素も混じるようになりました。三曲(さんきょく)万歳という、3種類の楽器を使ってネタを披露するような万歳も登場しています。万歳が、現在の漫才の基礎を作ったといってもよいのかもしれません。

 さて、笑いの芸能といえばもう一つよく知られているのが、「狂言」でしょう。能とともに、日本を代表する古典芸能の一つですが、この狂言も民俗芸能に入り込んだものがたくさんあります。特に神楽では、さまざまな形の狂言を見ることができます。例えば岩手県の早池峰(はやちね)神楽に伝わる「狐とり」という狂言。狐を捕まえる男の前に、女に化けた狐が登場し、狐とりをやめるように口説きます。ところが好色な男は、卑猥(ひわい)なことを言いながら女を追いかけまわしてどたばたするという展開です。この題材は一般の狂言でも「釣狐(つりぎつね)」といった名で演じられていますが、こちらは狐が僧侶に化けていて、だいぶ印象が異なります。こうした神楽の狂言は、神々の舞の合間に演じられることが多く、方言での滑稽なやりとりに観客も大笑いしています。

 神楽には、狂言以外にも笑いの演目があります。同じ早池峰神楽では、例えば「三番叟(さんばそう)」に対して存在する「裏三番(うらさんば)」という演目。三番叟は能楽でも重要な演目ですが、早池峰神楽でも、舞の最初に行われる一連の儀式的な舞の中にラインナップされています。この一連の儀式的な舞を「式舞(しきまい)」と言いますが、昼夜2回神楽を演じるときなどは、夜の部の最初に「式舞」を舞わずに「裏舞」を舞うのです。その際に、「三番叟」が「裏三番」になるのです。裏三番は、三番叟と道化(どうけ)とが一緒に登場し、道化が三番叟の真似をするものの失敗するといったコミカルな内容になっています。真面目な式舞を面白くしたのが裏舞といってもいいでしょう。

 そしてさらに遡って考えてみると、三番叟の存在自体にもコミカルさが隠れています。三番叟は、翁(おきな)・千歳(せんざい)とセットで式三番を構成していますが、その中で最も格式が高いのが、白い老人顔の翁です。民俗学者の折口信夫(おりくちしのぶ)によれば、この翁を判りやすく説いたのが三番叟だというのです。ですから同じ翁面でもこちらは黒い老人顔になり、動きも活発です。こうした役割を、折口は「モドキ」と名付けました。翁をわかりやすく説くための副演出として三番叟が演じられるというのです。そう考えると、裏三番はモドキのさらにモドキだといえるでしょう。

 このモドキが役名になっているのが、江戸の里神楽に登場する道化役です。いわゆる、おかめ・ひょっとこなど滑稽な面をつけて演じます。彼らは神々の舞の合間に登場して、物語に加わったり、失敗して笑わせたり、神話をおもしろく盛り上げます。神楽とは別に、祭囃子の踊り手として、滑稽な身振りのパフォーマンスを見せる場合もあります。

江戸の里神楽(間宮社中)

 一方、登場人物の1人が笑いを振りまくような演目もあります。岡山県の備中(びっちゅう)神楽では、そうした役を「茶利(ちゃり)」と呼びます。例えば「天岩戸開き(あまのいわとびらき)」の演目では、手力男命(たぢからおのみこと)がその役を担い、ストーリー展開とは別に太鼓奏者と交わす会話は漫才そのもの。その経験を活かした漫才師が、M-1グランプリなどテレビを沸かせる存在になっていることは、よく知られています。

 他の民俗芸能でも、登場人物が定番ネタや即興ネタで笑いを取るものは、多々見られます。例えば田遊び系の民俗芸能では、「かまけわざ」といって、男女の性的な表現がよく演じられます。これは男女の性的な交わりが稲に感染して、米の実りを豊かにしてくれるという感染呪術の一環といえます。このセクシャルな表現を露骨にやると、猥雑なものになってしまいますが、女性役も男性が演じて滑稽な演出にすることによって、笑いに変えているのです。

 最後にもう一つ、笑いを主軸においた芸能である俄(にわか)狂言(単に俄とも呼ばれます)も紹介しておきましょう。路上や宴席などで素人が演じるコントで、江戸時代から明治にかけて多く演じられてきました。寄席(よせ)芸や新喜劇などにも発展しますが、地方の祭礼で民俗芸能として演じられているものも残っています。民俗芸能であっても、毎年自分たちでネタを考えて台本を書き、衣装も役柄にあったものを着るなど、なかなか本格的なコントを演じています。

 このように見てくると、日本の民俗芸能にとって笑いは大切な要素であることがわかります。芸能ではありませんが、神事として笑いを重視した祭りもあります。例えば大阪府の枚岡(ひらおか)神社に伝わる「注連縄掛(しめかけ)神事」は通称お笑い神事ともいわれ、参加者が笑い続けます。愛知県の熱田(あつた)神宮で行われる「酔笑人(えようど)神事」は通称オホホ祭りともいわれ、深夜に神職たちが笑い合うという神事です。理由はさまざまではありますが、根本的に笑いが魔を追い出し、神々の力を強める効果があると考えられてきたのでしょう。そう考えると、民俗芸能の中で笑いが大切にされてきた理由も、わかるような気がします。

久保田裕道
独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所 無形文化遺産部 無形民俗文化財研究室長

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