文化デジタルライブラリー

人形浄瑠璃 文楽 BUNRAKU

歴史

復興期

明治期黄金時代の終焉

御霊文楽座
『文楽之研究』春陽堂 昭和5年(1930)
三宅周太郎 著

2代目竹本越路太夫(たけもとこしじだゆう)を中心に人気を博した文楽座に対抗して、明治17年(1884)に彦六座(ひころくざ)が開場しました。文楽座から引き抜かれた2代目豊澤団平(とよざわだんぺい)を中心に、3代目竹本大隅太夫(たけもとおおすみだゆう)らが活躍し、二座が拮抗する明治期の黄金時代を迎えました。
その後、彦六座は明治26年(1893)に解散し、その系統は大正10年(1921)に京都の竹豊座(たけとよざ)が閉場するまで続きますが、以後は文楽座が人気を独占します。しかし、大正15年(1926)に御霊文楽座(ごりょうぶんらくざ)が焼失し、明治大正期の文楽黄金時代は終わりを迎えます。

用語解説

2代目竹本越路太夫

天保7年(1836)〜大正6年(1917)。明治大正期を通じての太夫の大立者(おおだてもの)。万延元年(1860)、2代目竹本越路太夫を襲名。明治36年(1903)、6代目竹本春太夫を襲名し名誉称号の「掾」を受領し、摂津大掾(せっつだいじょう)となります。その語り口は美声で上品で、高音を綺麗に観客に聞かせました。

彦六座

5代目豊澤広助(とよざわひろすけ)門下の素人弟子たち「彦六社」が出資して、明治17年(1884)、稲荷神社境内にできた人形浄瑠璃の劇場。櫓下(やぐらした:一座の代表格。紋下[もんした]とも)に三味線の5代目豊澤広助、他の顔触れは人形の吉田才治(よしださいじ)、太夫は4代目竹本住太夫(たけもとすみたゆう)と4代目竹本重太夫(たけもとしげたゆう)で、のちに2代目豊澤団平も加わりました。
彦六座で上演された『壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)』、『良弁杉由来(ろうべんすぎのゆらい)』は現在でも上演されています。

2代目豊澤団平

文政11年(1828)〜明治31年(1898)。三味線弾き。3代目豊澤広助の門弟で、弘化元年(1844)団平を襲名。明治16年(1883)、文楽座の櫓下となりますが、翌年、彦六座に移ります。伝承の整理、古典の復活、後進の育成につとめました。

3代目竹本大隅太夫

嘉永7年(1854)〜大正2年(1913)。5代目竹本春太夫(たけもとはるたゆう)の門弟で、明治17年(1884)に大隅太夫を襲名。2代目豊澤団平の指導を受けてコンビとなり、『壺坂霊験記』が大評判となりました。

戦前の文楽と近代化

四ツ橋文楽座

御霊文楽座が焼失し、道頓堀弁天座(べんてんざ)で仮興行を行っていた文楽座は、昭和5年(1930)、大阪の四ツ橋(よつばし)に、文楽としては初めての洋風建築となる四ツ橋文楽座を開場します。客席は椅子席となり、義太夫節の詞章(ししょう:文章)が印刷された公演プログラムなども販売されるようになります。特に戦前は、大阪の経済基盤に支えられ、いわゆる三巨頭といわれた3代目竹本津太夫(たけもとつだゆう)2代目豊竹古靱太夫(とよたけこうつぼだゆう)6代目竹本土佐太夫(たけもととさたゆう)をはじめとする名人を輩出し、大阪の芸能として親しまれました。

用語解説

3代目竹本津太夫

明治2年(1869)~昭和16年(1941)。明治43年(1910)に津太夫を襲名、大正13年(1924)に櫓下になりました。豪放な語りで知られます。

2代目豊竹古靱太夫

明治11年(1878)~昭和42年(1967)。明治42年(1909)に古靱太夫を襲名、昭和17年(1942)に櫓下となり、昭和22年(1947)に名誉称号の「掾」を受領し豊竹山城少掾(とよたけやましろのしょうじょう)となります。理知的な語りで知られます。

6代目竹本土佐太夫

文久3年(1863)~昭和16年(1941)。3代目竹本大隅太夫の門弟で、のちに竹本摂津大掾(たけもとせっつのだいじょう)門下となります。大正3年(1914)に土佐太夫を襲名。美声で知られ、艶物(つやもの:男女の恋愛・情事を描く作品)を得意としました。

戦後の文楽

文楽協会発足時の『寿五人三番』
公益財団法人文楽協会所蔵

戦後の混迷のなか、昭和22年(1947)、昭和天皇の大阪行幸の折に天覧に浴するなど、文楽に復興の兆しが見えました。上演の途絶えていた作品の復活や新作の発表、海外公演を行うなど、さまざまな取り組みを続けます。昭和24年(1949)に労働運動に端を発する経営上の対立から、因会(ちなみかい)、三和会(みつわかい)に分裂しましたが、昭和38年(1963)に再びひとつにまとまり、財団法人文楽協会が設立しました。

現代の文楽

昭和41年(1966)に国立劇場が開場し、文楽は東京でも定期的に行われるようになり、昭和47年(1972)には文楽の未来を見すえて、国立劇場と文楽協会による技芸員(ぎげいいん)の育成を目指す文楽研修制度が始まりました。昭和59年(1984)には大阪に文楽の本拠地として国立文楽劇場が開場し、日本全国、また海外からも多くの観客が訪れています。研修制度も国立文楽劇場を中心に行われ、現在では研修修了者が技芸員のおよそ半数を占めるなど成果を出しています。
他に類を見ない舞台芸術として国際的に高い評価を得てきた文楽は、平成15年(2003)にユネスコにより「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」の宣言を受け、平成20年(2008)に「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載され、さらに注目を集めています。
文楽は、日本を代表する伝統芸能として、日本だけでなく世界へも活躍の舞台を広げています。

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