文化デジタルライブラリー

人形浄瑠璃 文楽 BUNRAKU

歴史

全盛期

竹本座と豊竹座の競合

竹本座(右側)と豊竹座(左側)
『竹豊故事』
国立文楽劇場所蔵

元禄16年(1703)、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)の弟子・豊竹若太夫(とよたけわかたゆう)が、東西に伸びる道頓堀通りの東に豊竹座を創設し、西の竹本座に対抗します。享保年間(1716~1736)に入り、両座が競い合うことで人気はますます高まり、「操り段々流行して歌舞妓は無(なき)が如し」(『竹本豊竹浄瑠璃譜[たけもととよたけじょうるりふ]』)といわれるほどになり、人形浄瑠璃は全盛期を迎えます。
竹本座は情のこもった質実剛健な語り、一方、豊竹座は華やかな美しい旋律で聴衆の情感に訴える語りで、それぞれ人気を集めました。その独特の語り口は、「風(ふう)」とよばれ、竹本座は「西風(にしふう)」、豊竹座は「東風(ひがしふう)」とよばれました。

用語解説

初代豊竹若太夫

天和元年(1681)~明和元年(1764)。のちに名誉称号の「掾」を受領して豊竹上総少掾(とよたけかずさのしょうじょう)、越前少掾(えちぜんのしょうじょう)となりました。

西風

竹本座の語り口。三味線の音に対して低めの音域で声を出して語っていくのが特徴で、これが情のこもった質実剛健な語りを印象づけました。

東風

豊竹座の語り口。三味線の音に対して高めの音域で語っていくのが特徴で、これが華やかな美しい音で聴衆の情感に訴える語りとして人気でした。

「三人遣い」の始まり

人形が駕籠を持ち上げる動きを表現するため、三人遣いが考案されたといわれています。
『上方』121 号 『芦屋道満大内鑑』番付
国立国会図書館所蔵(YA5-1202)

人形の表現力を高めるため、さまざまな改良が加えられていきます。竹本座では、人形遣いの吉田文三郎(よしだぶんざぶろう)らが次々に工夫をし、評判をよびました。特に享保19年(1734)竹本座初演の『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』では、それまで1人で遣(つか)っていた人形を、主遣い(おもづかい)、左遣い(ひだりづかい)、足遣い(あしづかい)の3人で遣うという「三人遣い」が考案され、さらなる人気を博しました。

用語解説

吉田文三郎

生年不詳〜宝暦10年(1760)。人形浄瑠璃全盛期における代表的な人形遣い。人形が飛躍的に発達した多くは文三郎の工夫によります。のちに吉田冠子(よしだかんし)のペンネームで、作者も兼ねました。度々竹本座から独立を企てたのち、ついに宝暦9年(1759)に退座させられ、翌年没します。

『芦屋道満大内鑑』

作者:初代竹田出雲
享保19年(1734)、竹本座で初演された時代物。古浄瑠璃『信田妻(しのだづま)』などに題材を取り、安倍晴明(あべのせいめい)の出生にまつわる話を物語化したもの。人間の葛の葉姫(くずのはひめ)に化けた白狐が、我が子(のちの晴明)に悲しい別れを告げる「葛の葉子別れの段」が有名。

合作制と三大名作

三大名作の丸本(義太夫節の詞章を全部収めた版本)
丸本『菅原伝授手習鑑』『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』
国立文楽劇場所蔵

近松門左衛門の没後、浄瑠璃の各段をより複雑で劇的に構成する方法のひとつとして、複数の作者が分担して執筆する合作(がっさく)が行われるようになりました。竹本座は初代竹田出雲(たけだいずも)2代目竹田出雲文耕堂(ぶんこうどう)三好松洛(みよししょうらく)、豊竹座では西沢一風(にしざわいっぷう)などが活躍しました。並木宗輔(なみきそうすけ)は、豊竹・竹本両座で執筆しています。
特に竹本座では延享3年(1746)に『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』、翌、延享4年(1747)には『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』、寛延元年(1748)に『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』が初演され、大当りをとりました。この3作は現在まで繰り返し上演され、浄瑠璃の三大名作と称されています。

用語解説

初代竹田出雲

生年不詳~延亭4年(1747)。竹本座の浄瑠璃作者。宝永2年(1705)より、竹本座の座本(ざもと:興行主)となりました。

2代目竹田出雲

元禄4年(1691)~宝暦6年(1756)。竹本座の浄瑠璃作者。初めは竹田小出雲(たけだこいずも)と名乗りましたが、親である初代出雲の死により、2代目を襲名しました。

文耕堂

生没年不詳。竹本座の浄瑠璃作者。近松門左衛門や初代竹田出雲に師事。紀海音(きのかいおん)、初代竹田出雲、並木宗輔(千柳)とともに、浄瑠璃作者の四天王と賞賛されました。

三好松洛

元禄8年(1695)~明和8年(1771)。竹本座の浄瑠璃作者。単独の作品はなく、全てが合作です。

西沢一風

寛文5年(1665)~享保16年(1731)。豊竹座の浄瑠璃作者。

並木宗輔

元禄8年(1695)~宝暦元年(1751)。浄瑠璃作者。西沢一風の門人。並木千柳(なみきせんりゅう)とも称しました。

『菅原伝授手習鑑』

作者:初代竹田出雲、並木宗輔(千柳)、三好松洛、竹田小出雲
延享3年(1746)、竹本座で初演された時代物。菅丞相(かんしょうじょう:菅原道真[すがわらのみちざね])が、藤原時平(ふじわらのしへい)の中傷によって九州太宰府に左遷され、恨みを残して死んで怨霊となって天変地異をもたらす話を軸に、道真から恩を受けた三つ子の兄弟、梅王丸(うめおうまる)・松王丸(まつおうまる)・桜丸(さくらまる)の葛藤と悲劇を描きます。

『義経千本桜』

作者:2代目竹田出雲、三好松洛、並木宗輔(千柳)
延享4年(1747)、竹本座で初演された時代物。源氏への復讐を狙う平家の生き残り平知盛(たいらのとももり)・維盛(これもり)・教経(のりつね)と、彼らに関わる者たちの物語。兄・源頼朝(みなもとのよりとも)に疎まれ、流浪の身となった義経(よしつね)の姿をからめて描きます。

『仮名手本忠臣蔵』

作者:2代目竹田出雲、三好松洛、並木宗輔(千柳)
寛延元年(1748)、竹本座で初演された時代物。侮辱に耐えかねて執権・高師直(こうのもろのお:史実の吉良上野介[きらこうずけのすけ])を斬りつけ、切腹となった塩冶判官(えんやはんがん:史実の浅野内匠頭[あさのたくみのかみ])。亡き主君の仇を、大星由良助(おおぼしゆらのすけ:史実の大石内蔵助[おおいしくらのすけ])ら家臣たちが討ち果たすまでの人間模様を、太平記(たいへいき)の世界に移して描きます。

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