文化デジタルライブラリー

人形浄瑠璃 文楽 BUNRAKU

歴史

成立期

古浄瑠璃の時代

山本土佐掾座の人形芝居を裏から見た様子。太夫と三味線弾きが向き合って演奏しています。
『人倫訓蒙図彙』第7巻
浄瑠璃楽屋 浄瑠璃太夫 人形遣
国立国会図書館所蔵(寄別13-58)

17世紀初め頃、人形浄瑠璃は大都市を中心に人気が高まっていきました。江戸では桜井丹波少掾(さくらいたんばのしょうじょう)、大坂では井上播磨掾(いのうえはりまのじょう)宇治加賀掾(うじかがのじょう)といった語り手が人気を集めました。この時代の浄瑠璃は素朴な力強さが特徴で、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)以降と区別して、古浄瑠璃(こじょうるり)とよんでいます。

用語解説

桜井丹波少掾

生没年不詳。金平浄瑠璃(きんぴらじょうるり)の祖。通称は和泉半左衛門(いずみはんざえもん)。寛文2年(1662)に、芸能に関わる人に宮中や宮家から授けられる名誉称号の「掾(じょう)」を受領して桜井丹波少掾となります。

井上播磨掾

寛永9年(1632)〜延宝2年(1674)、または貞享2年(1685)などの説がありますが生没年は不詳。主に大坂で活躍しました。その語り口は音遣い(おんづかい)が明瞭で、憂いの表現と激しい争いの場を語ることが得意であったとされます。

宇治加賀掾

寛永12年(1635)〜正徳元年(1711)。前名、宇治嘉太夫(うじかだゆう)。嘉太夫節の祖。延宝3年(1675)、名誉称号の「掾」を受領して宇治加賀掾となります。天和3年(1683)、近松門左衛門作『世継曽我(よつぎそが)』を改訂上演。義太夫の先輩にあたり、ライバル関係にありました。

竹本義太夫

慶安4年(1651)〜正徳4年(1714)。義太夫節の祖。元禄11年(1698)に名誉称号の「掾」を受領して、竹本筑後掾(たけもとちくごのじょう)となりました。

竹本義太夫の登場

『竹本筑後掾之画(竹本義太夫肖像)』
東京大学駒場図書館所蔵(090:1:85)

17世紀後半に竹本義太夫が登場し、それまでの浄瑠璃に謡(うたい)や当時流行の音楽を取り入れ、新たに「義太夫節(ぎだゆうぶし)」を生み出しました。その語り口は、声が大きく広い音域で表現力豊かだったと伝えられています。貞享元年(1684)大坂の道頓堀に竹本座を創設し、翌年に近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)と組んだ『出世景清(しゅっせかげきよ)』を発表し、義太夫節は人気を博しました。

用語解説

近松門左衛門

承応2年(1653)〜享保9年(1724)。武士の身分を捨て、劇作家を志し、宇治加賀掾の元で浄瑠璃作者となりました。のちに、竹本座の座付作者として多くの作品を作りました。

『出世景清』

作者:近松門左衛門
貞享2年(1685)、竹本座で初演された時代物。古浄瑠璃『かげきよ』などに題材を取りながら、登場人物の心理描写に基づく優れた人間悲劇を作り上げ、それまでの古浄瑠璃とは一線を画しました。

近松門左衛門の登場

近松門左衛門肖像
『難波土産』
国立文楽劇場所蔵

近松が竹本座専属の作者になって初めての作品『用明天王職人鑑』の上演風景。人形遣いは女方の名手・辰松八郎兵衛。
『今昔操年代記』
国立文楽劇場所蔵 

近松門左衛門は、日本文学史を代表する劇作家です。その作風は生き生きとした登場人物、美しい詞章(ししょう:文章)、ドラマチックな展開などにあります。初期の頃は浄瑠璃・歌舞伎の両方を執筆していましたが、元禄16年(1703)の『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』が大当りしたのち、浄瑠璃の執筆に専念し、竹本座で数々の作品を書きました。義太夫没後も『国性爺合戦(こくせんやかっせん)』『平家女護島(へいけにょごのしま)』、『心中天の網島(しんじゅうてんのあみじま)』など、多数の傑作を残しました。

用語解説

『曽根崎心中』

作者:近松門左衛門
竹本座で初演された世話物。醤油問屋平野屋の手代・徳兵衛(とくべえ)は、主人からの婿入り話を断った上、親友の油屋・九平次(くへいじ)に金を騙し取られたことから、恋仲の堂島新地の遊女・お初(おはつ)と曽根崎の森で心中します。実際に起きた心中事件をもとにした作品です。

『国性爺合戦』

作者:近松門左衛門
正徳5年(1715)、竹本座で初演された時代物。中国人の父と日本人の母を持つ鄭成功(ていせいこう)が、明(みん)の再興のために活躍した史実が題材の作品です。竹本義太夫没後、弱冠25歳の竹本政太夫(たけもとまさたゆう:のちの竹本播磨少掾[たけもとはりまのしょうじょう])が後継者となった竹本座の命運を分けた作品で、公演は17か月連続のロングランを記録し、大当りを取りました。主人公・和藤内(わとうない)の名は、「和[日本人]でも唐[中国人]でもない」というシャレになっているといわれています。

『平家女護島』

作者:近松門左衛門
享保4年(1719)、竹本座で初演された時代物。平清盛(たいらのきよもり)、常盤御前(ときわごぜん)、文覚上人(もんがくしょうにん)、牛若丸(うしわかまる)、俊寛僧都(しゅんかんそうず)などの話を織り込み、平家全盛から源氏興隆までを描きます。妻の死を知り鬼界が島(きかいがしま)に1人残る決意をする俊寛の悲劇が有名です。

『心中天の網島』

作者:近松門左衛門
享保5年(1720)、竹本座で初演された世話物。実際に大坂・網島の大長寺(だいちょうじ)で起きた心中事件をもとにして書かれました。天満の紙屋・治兵衛(じへえ)は、妻・おさんとの間に2人の子までいながら、紀伊国屋(きのくにや)の遊女・小春(こはる)と深い仲になっています。おさんと小春の女同士の義理立てや、断ち切れない男女の愛情のもつれなど、人間の心理を深く突いた世話物の傑作です。

「世話物」の広まり

辰松八郎兵衛が出遣いで『曽根崎心中』お初の人形を遣う様子。竹本筑後掾(竹本義太夫)らが語っています。
『牟芸古雅志』曽根崎心中付り観音廻り
国立劇場所蔵

大当りした『曽根崎心中』は当時起きた心中事件を描いた作品です。庶民の恋や世間との葛藤などの親近感をよぶ題材、義太夫の情をこめた語り、そして人形遣いの辰松八郎兵衛(たつまつはちろべえ)の出遣い(でづかい:人形遣いが観客に姿を見せて人形を遣うこと)が評判をよびました。それまでの浄瑠璃は、歴史的事件などを扱う「時代物(じだいもの)」作品だったのに対して、この作品が「世話物(せわもの)」というジャンルを広めるきっかけとなりました。

用語解説

辰松八郎兵衛

生年不詳〜享保19年(1734)。女方(おんながた)の人形遣い。当時の人形は一人遣いでした。元禄年間(1688〜1704)より、竹本座に出演。宝永4年(1707)、豊竹若太夫(とよたけわかたゆう)と豊竹座の共同経営者になりました。

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