文楽編・菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

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よもやま | ゆかりの和歌

梅は飛び 桜は枯るゝ世の中に 何とて松のつれなかるらん

平成24(2012)年2月<br>国立劇場小劇場 第178回文楽公演<br>『菅原伝授手習鑑』 寺子屋の段<br>戸浪:桐竹 勘壽<br>千代:吉田 文雀<br>松王丸:吉田 玉女<br>武部源蔵:吉田 和生<br>公演記録写真(Y_D0100178501495)

『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』でもっとも重要な和歌が、「梅は飛び 桜は枯るゝ世の中に 何とて松のつれなかるらん」。作中では、四段目「天拝山の段(てんぱいざんのだん)」と「寺子屋の段(てらこやのだん)」に、2回登場します。「梅は飛んで、桜は枯れたというのに、なぜ松はつれないのだろう」といった意味ですが、それぞれの木は作中人物になぞらえられており、実際には「梅王丸(うめおうまる)は筑紫国(つくしのくに)まで駆けつけ、桜丸(さくらまる)は義を立てて切腹したというのに、なぜ松王丸(まつおうまる)だけがつれないのであろうか、いやそんなはずはあろうか」と読み解くことができます。

最初にこの歌が登場する天拝山の段の直前、三段目「桜丸切腹の段(さくらまるせっぷくのだん)」では、桜丸が丞相への申し訳として切腹しています。丞相が太宰府へ流されるきっかけとなった、斎世(ときよ)親王と丞相の養女・苅屋姫(かりやひめ)の仲を取り持ったのが桜丸だったからです。また、梅王丸は丞相の妻子を安全な場所へと匿い、筑紫へ下った丞相のもとへと馳せ参じます。しかし、松王丸も丞相に不忠義だったわけではありません。「寺子屋の段」で殺されそうになる丞相の息子・菅秀才(かんしゅうさい)の身代わりに、我が子・小太郎(こたろう)を立てたのは、他でもない松王丸なのです。

この場面で、松王丸はこの歌を詠んで息子の死が丞相の役に立ったことを喜んだのち、「菅丞相には我が性根を見込み給ひ『何とて松のつれなからうぞ』との御歌を『松はつれないつれない』と世上の口に、かゝる悔しさ(丞相は私の本心を見抜いておいでなのに、世間の人には松王丸はつれない、薄情だとそしられ、なんと悔しいことだろう)」と嘆きます。

この歌は、伽草子『天神本地(てんじんのほんじ)』や室町時代末期の随筆集『榻鴫暁筆(とうでんぎょうひつ)』などでは、実在の菅原道真(すがわらのみちざね)の作とされています。鎌倉時代の『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』巻32には「梅は飛び 桜は枯れぬ菅原や 深くぞ頼む神の誓いを(梅は主人の道真に愛され筑紫まで飛んだというのに、同じ庭の桜は乞われることなく枯れてしまった。神への深い信心のなせることだなあ)」と、道真の死後、源順(みなもとのしたごう)という人が道真を偲んで詠んだとされる歌が残されており、それが時代とともに変化したのではないかという説もあります。

歌舞伎との対比
  • 互いに影響し合う 文学と歌舞伎
  • 丞相名残の段をくらべる
  • 車曳の段をくらべる
  • 天拝山の段をくらべる
寺子屋
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