文楽編・菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

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用語編文楽編

  • 用語編
  • 文楽編
  • 菅原道真の太宰府左遷 平安時代、国の政治を司る立場にいた菅原道真が、対立する藤原時平(ふじわらのときひら)の企みによって京の都から遠く九州の太宰府(福岡県)に追いやられてしまったという、歴史上とても有名な出来事。 天神 菅原道真は亡くなったあとに火雷天神など数々の神名を与えられ、崇められています。この天神を祀った「天満宮」や「天神」と名のつく社(やしろ)は全国に1万以上もあり、菅原道真が学業に秀でていたことから「学問の神様」としても知られています。
    丞相 帝を助けて政治を行う人のこと。古くは中国で使われていた言葉が日本に伝わりました。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』に登場する菅丞相(かんしょうじょう)とは菅原道真の異称です。 舎人 帝や貴族に仕える家来のことです。『菅原伝授手習鑑』に登場する三つ子の梅王丸(うめおうまる)、松王丸(まつおうまる)、桜丸(さくらまる)は3人とも牛飼(うしかい)舎人で、舎人のなかでも最も身分が低いとされていました。
    帝 「帝」という字には天下を治める最高の支配者という意味があり、日本では古来より天皇のことを指します。 御台所 御台盤所(みだいばんどころ)の略で、大臣や将軍などの奥方を敬っていう言葉です。
    流罪 都から遠く離れた地や島などに罪人を送る刑のこと。明治41年(1908)まであった刑で、死罪に次ぐ重刑。菅原道真が太宰府に追いやられたのも流罪にあたりますが、道真は無実だったと伝えられています。 賀の祝 50歳、60歳など10年ごとに行われる長寿のお祝い。平安時代は宮廷の貴族の間で行われていましたが、やがて庶民に広がり、江戸時代には77歳の「喜寿(きじゅ)」や88歳の「米寿(べいじゅ)」など種類も増えました。『菅原伝授手習鑑』には白太夫(しらたゆう)の70歳の「古希(こき)」の祝いが出てきます。
    讒言 他人を陥れるために事実を曲げて告げ口をすること。道真は時平の讒言によって流罪になったといわれています。 寺子屋 江戸時代の庶民の間で広まった初等教育機関で、いまの小学校のようなものです。『菅原伝授手習鑑』でも寺子屋の場面が有名ですが、菅原道真の時代には寺子屋はありませんでした。
    簒奪 帝(みかど)の位、政治の実権などを奪い取ること。道真は醍醐(だいご)天皇から帝位の簒奪を企んだ罪を着せられたのでした。 不義 道徳的に許されない男女の関係のこと。江戸時代には家来や奉公人同士の、主人に認められていない恋愛は禁止されていました。
    介錯 切腹をする人の傍らにいて首を斬ること。『菅原伝授手習鑑』の桜丸切腹の場面では、父である白太夫は武士ではないため、刀ではなく鉦(かね)をたたいて念仏を唱えることによって桜丸の苦痛を和らげることを「介錯」としています。
  • 時代物と世話物(じだいものせわもの) 文楽の作品には、武家や公家の社会を舞台とする出来事に取材した「時代物」と、江戸時代の町人社会を題材にした「世話物」があります。
    時代物では公家・僧侶・武士の世界が展開し、作曲や表現が豪快なのが特徴。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』のほか『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』などが代表作です。 一方、世話物で描かれるのは庶民の世界なだけに、ストーリーや演出も写実的です。代表作に『曽根崎心中(そねざきしんじゅう)』『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』『新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)』などがあります。
    端場と切場(はばときりば) 時代物の各段は数場面に分かれていることが多く、人間関係や場所などを説明する導入部の段を端場、クライマックスの段を切場といいます。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の場合、初段の「大内の段」が第一場(口=くち)、「加茂堤の段」が第二場(中=なか)、「筆法伝授の段」が第三場(切=きり)という構成で、第一、二場が端場、第三場が切場となります。
    切を勤める太夫を切場語りと呼び、番付でも名前の頭に「切」の文字を冠して、その格が表されます。
    ちなみに『菅原伝授手習鑑』の切場は、上記「筆法伝授の段」のほか、「丞相名残の段」(二段目)、「桜丸切腹の段」(三段目)、「寺子屋の段」(四段目)です。
    大坂言葉の芸術 元来浄瑠璃は京を中心に発生したもので、さまざまな形で演奏されていました。その長所を取り入れ人気を博したのが、大坂南部、安井天神付近の料亭の主だった竹本義太夫(たけもとぎだゆう)が始めた「義太夫節」でした。彼は竹本座を創設し、作者に近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)を迎えて人形浄瑠璃の礎を築きます。
    このように、義太夫節は上方(かみがた)で起こったことから、言葉は大坂のアクセントやイントネーションになっています。
    人形浄瑠璃は浮沈を繰り返しますが、大正年間に至ると「文楽」が人形浄瑠璃の代名詞となりました。平成に入り、ユネスコの無形文化遺産の代表的な一覧表に記載された文楽は、大坂が生んだ世界に誇るべき文化遺産として国内外から賞賛されています。
    義太夫狂言 もともと人形浄瑠璃のために書かれた作品が、後に歌舞伎化されたものを義太夫狂言といいます。『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』もその一つで、延享3年(1746)に大坂・竹本座で初演された翌月には、京都・喜世三郎座で、翌年には江戸でも歌舞伎として上演されて大人気となりました。現代まで演じられている歌舞伎の演目の多くが義太夫狂言で、『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』『仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)』は『菅原伝授手習鑑』と合わせ、義太夫狂言の3大名作として知られています。登場人物のせりふは歌舞伎俳優自身が語りますが、状況説明などナレーションの部分は竹本(たけもと)と呼ばれる太夫や三味線方(かた)が担当します。

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