菅原伝授手習鑑TOP > ひもとく > 作品の概要 > 四段目 寺子屋の段
青ざめた顔で源蔵(げんぞう)が戻ってきます。菅秀才(かんしゅうさい)を匿っていることが発覚し、首を差し出せという難題を告げられたからです。寺子の中から身代わりをと悩みますが、みな田舎者ばかり。ところが戸浪(となみ)が新入りの小太郎(こたろう)に引き合わせると、その育ちの良さそうな顔を見て源蔵はこの子を身代わりにする決意を固めます。
やがて時平(しへい)に仕える春藤玄蕃(しゅんどうげんば)と松王丸(まつおうまる)がやってきます。菅秀才の顔を知っていた松王丸は、渡される菅秀才の首が本物かどうかを見分ける「首実検」のため同行していました。寺子の顔をひとりずつあらためて帰したあと、「早く菅秀才の首を討て」と催促された源蔵は、やむなく身代わりの小太郎の首を討ち、切首を入れた首桶が松王丸の前に置かれます。首実検の緊迫した場面。松王丸は「菅秀才の首に相違ない」と言い、一行は首を携え寺子屋を後にします。
源蔵と戸浪は身代わりの狙いがうまくいったことに安堵しますが、小太郎の母親・千代(ちよ)が我が子を迎えにやってきます。口封じのため母親も亡き者にしようと源蔵が斬りかかりますが、千代はその刀をかわし「菅秀才のお身代はり、お役に立てて下さったか」と思わぬ言葉を口にします。そこへ松王丸も現れます。実は小太郎とは松王丸と千代の1人息子だったのです。松王丸は悪人の時平に仕えながら、名付け親であり、恩義ある菅丞相(かんしょうじょう)のため役に立ちたいと思っていたのです。
北嵯峨で御台所(みだいどころ)を助けた山伏も松王丸でした。おかげで御台所は菅秀才と再会します。すべての仔細が明らかになり、最後、小太郎の弔いが行われます。松王丸夫婦は菅秀才を救うことができた喜びと我が子を失った悲しみを抱きながら、小太郎を葬るため鳥辺野(とりべの)に向かいます。
この段の主人公は松王丸(まつおうまる)ですが、寺子屋の主・武部源蔵(たけべげんぞう)の存在も極めて重要です。時平(しへい)方から若君・菅秀才(かんしゅうさい)の首を渡せと命じられた源蔵。しかし源蔵に主家の若君を殺すことなどできず、その身代わりとして寺子屋に通う寺子の誰かを選ぼうとします。寺子の顔を思い浮かべながら重い足取りで寺子屋へと戻る場面が「源蔵戻り」と呼ばれる場面です。
帰宅した源蔵は女房の戸浪(となみ)から新入りの寺子、小太郎(こたろう)を引き合わされます。最初は小太郎の顔に気付かなかった源蔵ですが、小太郎が若君の身代わりに使える良い顔立ちだとわかると「これだ!」と胸を躍らせます。
しかし喜びも束の間。源蔵は複雑な胸の内を戸浪に打ち明けます。いくら若君を救うためとはいえ、今日入門したばかりの何の罪もない小太郎を殺さなければならないのです。その苦しさをひと言で語るのが印象的なセリフの「せまじきものは宮仕え」です。「貴人に仕える宮仕えをしているから、こんな辛いことをしなくてはいけない。ああ宮仕えなどすべきではないなあ……」という気持ちです。
若君・菅秀才の首を討てと命じられた源蔵は身代わりに小太郎の首を刎ね、検分役の松王丸に差し出します。実はこの松王丸こそ、身代わりで首を討たれた小太郎の父親だったのです。松王丸は菅秀才の命を救うため、身代わりで殺されるのを覚悟の上で、我が子・小太郎を寺子屋に送り込んでいたのでした。「首実検」で松王丸の前に置かれたのは小太郎の首。覚悟はしていたものの我が子の死に顔を目にして松王丸は複雑な想いです。しかしそれを悟られないよう「菅秀才の首に相違ない」と松王丸は答えるのです。
この段最後の見せ場が、段切(物語の終わり)近くにある「いろは送り」と呼ばれる場面です。亡くなった小太郎の弔いが行われ、悲しくも美しい三味線の旋律に乗せて展開する名場面。菅丞相(かんしょうじょう)の御台所(みだいどころ)によって焼香が行われる前、三味線が、弔いの時に用いる鈴(りん)の音に似せて弾かれます。ゆっくりと間合いを取って弾くところで、ここはテクニックばかりでなく弔う気持ちを込めて弾くことが大切だといわれています。ある三味線弾きは、心の中で「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら弾いたといいます。そうした気持ちで弾く三味線だからこそ、聴く者の胸を打つことができるのでしょう。