個々の楽曲などを複数組み合わた組曲で、刀を腰から下げた舞人(まいにん)4人による勇壮な舞がともなう国風歌舞です。
大和朝廷に従った武人集団である久米部(くめべ)に伝えられていた歌舞に起源し、朝廷の儀式に採り入れられました。その歌詞は、『古事記』、『日本書紀』に数種が収められています。
平安時代以降は大嘗会(だいじょうえ:天皇が即位後初めて行う収穫を神に感謝するための祭)に際して行われる儀式の1つ、豊明節会(とよのあかりのせちえ)で奏されました。中世に入り伝承が途絶えましたが、江戸末期に復興され、今日に伝承されています。
龍笛(りゅうてき)と篳篥(ひちりき)による「久米歌合音取(くめうたのあわせねとり)」の後、「参音声(まいりおんじょう)」となり、この間に舞人が登場、それぞれ所定の位置につき、「揚拍子(あげびょうし)」とともに舞が始まります。次に和琴(わごん)の独奏が入り、独唱の「伊麻波余(いまはよ)」のあと、「退出音声(まかでおんじょう)」で舞人は退出となります。

舞人は、頭には巻纓(けんえい)の末額冠(まっこうのかんむり)をつけ、赤の練絹糸を用いて織られた袍(ほう)に、腰から太刀(たち)を下げ、黒い漆を塗った烏皮沓(うひのくつ)を履いて舞います。裾の紐で足首を結ぶ表袴(うえのはかま)には桐、竹、鳳凰の模様が施されています。足には黒い漆が塗られた烏皮沓(うひのくつ)を履いています。
歌と伴奏を担当する歌方(うたかた)は垂纓(すいえい:後部に付けられた纓を下に垂らしたもの)の冠に、赤か緑の袍を着装します。黒漆塗りの浅沓を履き、手には笏(しゃく)を持ちます。
用いられる楽器は、横笛、篳篥(ひちりき)、和琴(わごん)、笏拍子(しゃくびょうし)となります。
戦(いくさ)の勝利を祝う歌舞が起源となっているため、勇壮な舞が特色です。演奏の中間には、和琴の独奏のなか、舞人が向かい合い四隅から中央に向かって太刀を振り下ろす所作があり、この敵を切り伏せるような舞姿は、大きな見どころといえるでしょう。
今日、宮中で『久米舞』が正式に奏される機会は、天皇即位の大嘗祭(だいじょうさい)の大饗(たいきょう:参列者をもてなす宴)だけですが、神武天皇を祀(まつ)った奈良県の橿原(かしはら)神宮にも伝えられ、毎年4月29日の昭和祭(しょうわさい)の中で神職によって奏されています。