子どもによる舞が特徴の右方の童舞(わらわまい)です。
延喜6(906)年、宇多法皇(うだほうおう)が子供の相撲を観覧する時に、藤原忠房(ふじわらのただふさ)が曲を、式部卿敦実親王(しきぶきょうあつざねしんのう)が舞を作ったといわれています。
『迦陵頻(かりょうびん)』の答舞(とうぶ:先に演じる左舞の対となる右舞)として、昔から寺院の法要などでよく奏される子どもが舞う童舞(わらわまい)の1つで、大人が舞うことはありません。
一具は、(1)「高麗小乱声(こまこらんじょう)」、(2)「高麗乱声」、(3)「小音取(こねとり)」、(4)「当曲」からなります。
まず、高麗笛(こまぶえ)の独奏と太鼓、鉦鼓(しょうこ)による「高麗小乱声」が前奏曲として奏され、舞人(まいにん)の登場曲である高麗笛の「退吹(おめりぶき)」、太鼓、鉦鼓による「高麗乱声」と続きます。この間に登台した舞人は舞台に登るときの所作「出手(ずるて)」を舞います。高麗笛と篳篥(ひちりき)の主奏者と三ノ鼓(さんのつづみ)による「小音取」、演目の中心となる「当曲」と続き、最後に舞人は輪を作って4人目の舞人・四臈(よんろう)から順に退出していきます。
舞人はこの演目固有の子供用に小ぶりに仕立てられた別装束を身につけて舞います。
緑色系の袍には胡蝶(こちょう)の紋様が刺繍され、背には羽根をつけます。頭には山吹の花を挿した天冠をかぶり、右手に山吹を持って舞います。また、原則的には白塗りの厚化粧をします。
子どもによる舞のため、舞姿や装束は子どもの愛らしさを強調したもので、舞人の動きにあわせて背中の羽がヒラヒラと可愛らしく揺れます。飛び跳ねながら回って大輪をつくる舞が特徴的です。