- 安倍季為(あべのすえため)の子で、母は水戸の医師・吉田祐益(よしだすけます)の娘
- 正四位上
安倍家は京都方の篳篥(ひちりき)を伝承する楽家(がっけ)でした。
季尚は元禄3(1690)年に全50巻からなる雅楽の百科全書ともいうべき『楽家録(がっかろく)』を残したことで知られています。『體源鈔(たいげんしょう)』が応仁の乱後の楽道の著しい衰退を憂えて、「思ひ出るにしたがひて条々之を載す」(同書序文)として記されたのとは対照的に、『楽家録』では、神楽(かぐら)・催馬楽(さいばら)にはじまり、各楽器、楽曲の由来や故実、音律、舞楽、奏楽の機会や故実、楽人、疑問点に至るまで部類が立てられ、体系的に構成されています。音律論では当時中村惕斎(なかむらてきさい:1629~1702年)等の儒学者らによって研究が進められていた宋の蔡元定(さいげんてい)著『律呂新書(りつりょしんしょ)』等の影響を受けている点も、それまでの楽書には見られなかった特徴です。京都の延寿寺(えんじゅじ)にお墓があります 。
- 岡昌純(おかまさずみ)の子で、母は岡昌重(おかまさしげ)の娘
- はじめは昌信(まさのぶ)、後に昌隆(まさたか)、昌名(まさな)と改名
- 正四位下
岡家は天王寺方の左舞(さまい)と笛を伝承する楽家(がっけ)でした。本姓は太秦(うずまさ)です。
昌名は『龍笛譜(りゅうてきふ)』も残しましたが、30巻もの巻数からなる楽書の『新撰楽道類聚大全(しんせんがくどうるいじゅうたいぜん)』を著したことで知られています。京、南都に劣らない伝統をもちつつも、応仁の乱以前には朝廷の儀式に参上して仕えることがなかった天王寺方の楽家では、中世までの楽書は知られていません。
『新撰楽道類聚大全』は古書を広く収集しつつ、系統立てて編纂したもので、安倍季尚(あべのすえひさ)の『楽家録』とならぶ近世の代表的な楽書となっています。天王寺方の楽家らしく、四天王寺の年中行事に一巻を割いているのも特徴的です。そのほか、厳島神社、住吉神社の舞楽の復興に関わったことも知られています 。