貴族勢力が徐々に衰え、武士が台頭する平安時代末期から鎌倉時代。この頃、公家の社会では雅楽が全盛を誇っていました。公家文化に傾倒した平家の人々は雅楽をたしなみ、平経正(たいらのつねまさ)など管絃の名手といわれる人物も輩出しています。平清盛(たいらのきよもり)は、嚴島神社の法会などに都の舞楽をもち込み、その伝統は今なお嚴島神社に受け継がれています。
いっぽう、源氏もまた雅楽には力を注いでいました。源頼朝(みなもとのよりとも)は鶴岡八幡宮に楽所を設け、京の楽人を招いて都の雅楽を鎌倉に移しました。八幡宮での法会には伊豆山や箱根の稚児が童舞(わらわまい)を奉納するのが常となりました。法会以外にも、海上で管絃の宴が催された記録も残されています。
平安時代、宮廷社会のなかで大成した雅楽ですが、武士たちも積極的に学び、庇護したのです。