文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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よもやま 江戸の火事

火事と火消組織

気候や人口密集などの理由から、たびたび大火に見舞われた江戸の町。その被害は甚大なもので、幕府は対策のために、消火活動を行う火消の制度を整えていきました

火災に悩まされた江戸の町

『むさしあぶみ』2 巻
浅井了意 著
明暦の大火当時の浅草門の様子
(国立国会図書館所蔵)

江戸の町は、たびたび大火に見舞われました。冬は乾燥し春先にかけて強い風の吹く気候、都市化とともに増え続けて密集する人口、加えて町の家屋のほとんどが燃えやすい木造でしたから、ひとたび火が出れば大火災につながったのです。なかでも4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)の時代、明暦3年(1657年)に起きた「明暦の大火」は、江戸の市街のほとんどを焼きつくして何万人もの死者を出すという大きな被害を与えました。その後も、火災の件数は増えつづけ、火事対策は幕府にとって大きな課題でした。


江戸の火消制度

江戸幕府は頻発する火事に対応するため、防火・消火の制度を整えました。これを「火消」といいます。元禄(1688年~1704年)の頃の火消組織には、幕府直轄で旗本が担当した「定火消(じょうびけし)」、大名に課役として命じられた「大名火消」がありましたが、いずれも武家の消火が中心でした。

町方には町人による「店火消(たなびけし)」がありましたが、素人の集団にすぎず、結局町方の消防は手薄な状態でした。これを改善したのが8代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)で、町人が組織するいろは48組の「町火消」制度を設け、消防体制を強化しました。

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