文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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よもやま 忠臣蔵の経済

討ち入り費用の明細

大石内蔵助が預かった討ち入り費用は、使途が細かく記録されていました。それによると、その使い道は同志たちの江戸と上方の往復旅費、家賃補助、生活費の補助などがほとんどでした

いちばんの費用は旅費交通費

『預置候金銀請払帳』
(箱根神社所蔵)

赤穂藩の取り潰し後に大石内蔵助(おおいしくらのすけ)が預かって管理していたお金は、『預置候金銀請払帳(あずかりおきそうろうきんぎんうけはらいちょう)』[箱根神社所蔵]という史料に、その使い道が詳細に記されています。

総額約691両[現在の金額で約8200万]のうち20%近くの127両は、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の墓を建てるなどの仏事に使われました。残りの額が討ち入りの資金ですが、そのうちいちばん多い使い道は、江戸と上方を往復する旅費でした。内蔵助自身は京の山科、討ち入りの同志は江戸、京、大坂、赤穂と各地に散らばっていましたから、連絡のために行き来する交通費、滞在費などはかなりの額を要したのです。最後に討ち入りのために江戸に下る旅費は、1人一律3両が渡されました。


不足分は内蔵助のポケットマネー?

江戸に集結した同志はひとまず、江戸にいた者たちの借家に身を寄せますが、この家賃も補助されました。また、同志達は禄をはなれ流浪を重ねた結果、生活に困っていたので、その手助けとして与えた食費や薬代などもありました。討ち入りに用いる武器や道具の購入費も必要でした。これらの出費で、討ち入りの直前には資金はほとんど底をついていました。最終的には7両ほどの赤字になり、その分は内蔵助の懐から出ていたようです。京の遊里で遊興していたといわれる内蔵助ですが、その費用は軍資金からは一銭も出されていないことがわかっています。

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