文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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よもやま 忠臣蔵の経済

討ち入り資金と浪人生活

討ち入りを志した赤穂藩士たちには資金が必要でした。内匠頭の未亡人が持っていたお金や、藩の財産を処分した残りがそれに当てられ、大石内蔵助がそれを預かって管理しました

討ち入りまでの軍資金

『潮田又之丞筆 討入引揚道筋図』
浪人生活を送りながら吉良の様子を伺い、得た情報は吉良邸の絵図面に書き加えるなどし、討ち入りの準備を進めた
(赤穂大石神社所蔵)

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は、浅野家再興と討ち入りのために軍資金を用意していました。その主なものは、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の妻・瑤泉院(ようぜんいん)の持参金である「化粧料」と、藩の財産を処分して藩士たちに分け与えた残りの金だったと考えられます。それらは合わせて700両弱、現在の金額にして約8200万ほどです。このうち20%近くは、内匠頭の供養のために石塔を建てたり寺に寄進したりという仏事に使われました。残りが討ち入りの準備に使われたのです。


元藩士たちの苦しい浪人生活

割賦金(わっぷきん:退職金)をもらって赤穂藩を去った藩士たちですが、浪人生活は楽ではありませんでした。狭い長屋に暮らし、切り詰めた生活をしていても、一年もたてば生活資金も底をつき、借金をするはめになりました。内蔵助は討ち入りを誓った同志に、軍資金の一部を生活費として与えることもしばしばでした。同志たちの中には、江戸の新橋に酒屋を開いた磯貝十郎左衛門(いそがいじゅうろうざえもん)のように、自分で商売を始める者もありました。また藩の金奉行だった前原伊助(まえはらいすけ)は、吉良邸に普請(ふしん:家屋を建てたり修理すること)があると日雇いで働きに行き、吉良の様子を探ったといいます。

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