浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の起こした刃傷事件で、浅野家は取り潰しとなります。幕府から預かっている形の領地、城、江戸の屋敷は、幕府に返さなくてはなりませんが、それ以外の財産は売ることができました。赤穂藩はまず藩所有の船を売り払いました。「城付き」の武具は城とともに返却しなければなりませんが、赤穂藩では鉄砲など武具の数に余裕があったため、規定の数だけ返納し、残りは藩士に下げ渡しまたは売却されました。
藩の発行する紙幣の藩札は、藩がなくなれば紙くず同然になる危険がありました。赤穂藩の藩札は現在の金額で18億円分ほど発行されており、所有者は交換所に押し掛けて大混乱となりましたが、全額ではないものの、藩のほうに交換の銀の用意があったため、額面の6割という高額な交換率で、藩札を回収することができました。塩の生産で比較的ふところに余裕のあった藩だからこそ、できたことでした。
藩の財産を売却した代金は、藩士約300名の身分に応じ、割賦金(わっぷきん:退職金)として分配されました。加えて藩の蔵から元禄14年分の給料として米が支給されました。これらの総額は現在の金額で約23億5000万円、一人当たりの平均は700~800万円になります。それでも、浪人となった藩士たちが先行きの見えないまま暮らしていくには、不安な金額だったでしょう。