江戸幕府の儀式や典礼を指導する役職を「高家(こうけ)」といいます。高家は足利将軍家の流れをくむ家や、戦国大名の子孫など、名家の末流から選出されました。これらの家は「高家旗本」といわれ、石高は決して高くはありませんが、天皇に拝謁する機会もあるために高い官位を与えられていました。吉良上野介(きらこうずけのすけ)も石高わずか4200石ながら官位は従四位上で、5万石の大名・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が官位は従五位下であったことと比べると、高家の扱いの高さがわかります。
高家の主な仕事は、将軍の使者として朝廷の儀式に参加、勅使・院使の接待と饗応役の大名に礼儀作法を指南することなどです。江戸の武家社会は格式や身分の秩序が重んじられたため、城中での年中行事の服装や礼儀作法が細かく規定されており、それを指導するのも高家の仕事でした。高家職に就くのは、高家の家格の旗本のみで、その中から家や武家の儀礼・服飾・法令などの先例・典拠や礼儀作法に精通した者を選び高家肝煎(こうけきもいり)としました。大名たちへの指導の際には、相応の謝礼を受けることが黙認されており、低い石高の高家旗本にとってはそれが重要な収入源であったともいわれています。