文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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よもやま 朝廷と幕府

勅使と饗応役

江戸幕府は、朝廷を統制するいっぽうで、その権威を借りるという形をとっていました。勅使を手厚くもてなすために、幕府は大名に「饗応役」を任命してその任に当たらせました

朝廷に対する幕府の態度

『徳川盛世録』「公家登城玄関前の図」
市岡正一 著
(東京都立図書館所蔵)

江戸幕府は「禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)」を定め朝廷を統制下に置くいっぽう、表面的には朝廷に敬意を払い、その権威をうまく利用しました。たとえば将軍をはじめ、従五位下、従四位下といった武士の官位は、幕府から朝廷に申請をし、天皇から任命されることで正式に認められるという形をとっています。

天皇からの使者は勅使、上皇からの使者を院使といいます。勅使や院使は、新しい将軍が就任した際や、毎年正月に行われる将軍の「年賀の挨拶」に対する返礼、さらに将軍家の慶弔などの際に、幕府へ派遣されました。幕府は「饗応役(きょうおうやく)」の大名を任命し、勅使・院使に最大級のもてなしを行いました。


莫大な費用がかかった饗応役

江戸に到着した勅使や院使をもてなす「饗応役」は、幕府と朝廷の関係を良好に保つための重い責任が課せられた任務でした。この役目を申し付けられたのは、3万石から10万石の外様大名(とざまだいみょう)でした。

御馳走をふるまう、高価な進物を贈るなど、饗応には莫大な費用がかかりました。さらに、饗応の礼儀作法の指南役として付く高家に対しても、高価な指導料が必要でした。饗応役に外様大名を指名したのは、金を使わせて蓄財を削ぐという幕府の意図があったとされています。

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