
桃井若狭助(もものいわかさのすけ)は、未明の登城がせまる深夜、家老・加古川本蔵(かこがわほんぞう)に、密事を明かしました。決して忠告して止めたりしないと誓約させ、語った大事は、明日城中で高師直 (こうのもろのう)を斬るということでした。若狭助は、家が断絶しても、師直から受けた恥辱にはかえられない、と無念の涙を流すのです。
お家存亡の危機に直面した家老としては、反対して当然の事態です。ところが、一徹な主人の気性を知る本蔵は、無念の思いを晴らせとばかりに松の枝を切って見せました。若狭助は満足し、本蔵に今生の別れを告げ奥の間へ入りました。本蔵は、主君を見送るやいなや、馬の用意を命じ、妻子の制止を振り切って、師直の館へ急ぐのでした。
『仮名手本忠臣蔵』の加古川本蔵は、史実の「赤穂事件」の発端、いわゆる「江戸城内松の廊下刃傷」の際、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)を抱き留めた梶川与惣兵衛(かじかわよそべえ:留守居役の幕臣)を下敷きに、津和野藩亀井家家老で、経済的手腕をふるった多胡主水(たごもんど)を結合させたと考えられています。
さて、「下馬先進物の段」で本蔵は、お家の危機を金で決着をつけます。現代的に考えると、本蔵が高師直へ贈った進物は、賄賂(わいろ)です。本蔵は、主君の家と領地を安泰に保つことに心を砕き、武士としての意地を張って摩擦を起こすことを避け、困難な状況を金によって解決に導いたのです。金による解決は、恥ずべきことに違いありません。その痛みは、本蔵自身が最も感じていたのではないでしょうか。








