文楽編 仮名手本忠臣蔵 Kanadehon Chushingura

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背景を知る 創作とその時代

浄瑠璃界と劇界 人形浄瑠璃の黄金期

『仮名手本忠臣蔵』が作られた頃は、人形浄瑠璃の黄金期ともいえる時代で、大坂竹本座を中心に、名作が次々に生まれていました。かたや、大坂歌舞伎界は、いまひとつ人気がふるわない時期でした。

『竹豊故事』
右上に竹本座、左上に豊竹座の櫓(やぐら)がある
(早稲田大学演劇博物館所蔵)

延享2年[1745年]から寛延3年[1750年]までの数年間は、人形浄瑠璃がもっとも隆盛をきわめた時期でした。これを「人形浄瑠璃の黄金期」といいます。

竹本・豊竹の両座が競いあっていた当時の様子を伝える『浄瑠璃譜(じょうるりふ)』には、「操(あやつ)り段々流行して歌舞妓(かぶき)は無(なき)が如し[人形浄瑠璃が次第に隆盛をきわめ、歌舞伎はあってもないようなもの]」と記されています。多少の誇張があるとしても、大坂歌舞伎界が不景気で、人形浄瑠璃界が活況を呈していたことを示しています。

人形浄瑠璃が歌舞伎を圧倒する人気を得たのは、この時期竹本座を中心に、名作・佳作が次々と初演され、戯曲[浄瑠璃]が、太夫・三味線・人形の芸の魅力を、舞台上で最大限に生かす大きな力となったことが、理由であったと考えられます。

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