新聞などのない江戸時代に、天変地異や庶民に密着した情報、庶民の好奇心を引きつける事件などを、いちはやく伝えるメディアは、瓦版(かわらばん)と呼ばれる一枚摺(いちまいずり)でしょう。読売(よみうり)・絵草紙(えぞうし)・辻売絵草紙(つじうりえぞうし)とも呼ばれました。古いものは大坂夏の陣を報じたものだといいます。読み捨てにされるものでしたから、一度に作られた枚数や値段、製作販売の経路など不明な点が多いのですが、身近なニュース速報であったことは確かです。
「赤穂事件」についても、江戸の町で行商中の商人が、山城国[現在の京都府南部]の本宅へ元禄15年(1702年)12月15日未明の吉良邸討ち入りの詳しい経緯を、12月16日付けの手紙で書き送っている記録があります。江戸市中には、非常に速い情報伝達の機能があったことをうかがわせます。