大衆芸能編 寄席

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浪曲の歴史

人気演者と大劇場

大道(だいどう)で演じられていた浪花節は流行の節まわしを取り入れてしだいに人気を博し、寄席でも演じられるようになりました。明治政府の税金対策も手伝って、浪花節は芸能の一大勢力となっていきます。

桃中軒雲右衛門

桃中軒雲右衛門

関西の浮かれ節は明治初期までには東京に伝わり、浪花節と呼ばれるようになりました。この当時の浮かれ節や浪花節は流行の節まわしを貪欲(どんよく)に取り入れました。関西で流行していた義太夫の影響を受けた浮かれ節の三味線が低く調子を取るのに対して、関東で流行していた新内などの影響を受けた浪花節は三味線の調子を高く取るという違いも生まれました。そして初めは大道(だいどう)で、よしず張りの小屋掛けなどで演じていた浪花節も寄席へと進出するようになります。浪花亭駒吉(なにわていこまきち)は、関東節という浪花節独自の節調を編み出しました。またレパートリーも多かったことから人気を取り、ついに落語の三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)、講談の2代目松林伯圓(しょうりんはくえん)と同額の入場料を取って、連日大入り客止めを続けたと伝わります。

この頃、明治政府は細分化されていた芸能をまとめ、税をとりやすくする取り締まりをしました。浪花節に近い歌祭文節(うたざいもんぶし)、七色節(なないろぶし)などを演じていた芸人も浪花節に統一され、浪花節は一大勢力となっていきます。

桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)は新聞記者などに台本の改訂を頼み、皇族の鑑賞にも耐え得る内容の『赤穂義士伝(あこうぎしでん)』を大劇場で演じました。これに刺激を受けた2代目吉田奈良丸(よしだならまる)など、大劇場で演じる者が続々と現れて、浪花節は芸能の主流となりました。

義太夫(ぎだゆう)

太棹(ふとざお)の三味線を伴奏にした語り物

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新内(しんない)

中棹(ちゅうざお)の三味線を伴奏にした語り物。高低の二挺の三味線で男女の恋をテーマに描くことが多い

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