大衆芸能編 寄席

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落語の歴史

時代の急変と落語

近代化につれてレコード、ラジオの時代となります。さらに関東大震災や太平洋戦争と時代は激動を続けます。その中で伝統を守るために落語研究会が生まれたり、東西交流により演目の移入が行われたりしました。また禁演落語を制定するなど、時代に迎合する動きも起きました。

台東区寿にある日蓮宗の寺院「本法寺」 門前の石垣には、人形町の末広亭や多くの芸人の名が一面に刻まれている

台東区寿にある日蓮宗の寺院「本法寺」
門前の石垣には、人形町の末広亭や多くの芸人の名が一面に刻まれている

本法寺境内にある「はなし塚」(台東区文化財史蹟) 第二次世界大戦中に上演を自粛した名作と落語界先輩の霊を弔うために建立された。塚には禁演となった落語の台本が納められた

本法寺境内にある「はなし塚」(台東区文化財史蹟)
第二次世界大戦中に上演を自粛した名作と落語界先輩の霊を弔うために建立された。塚には禁演となった落語の台本が納められた

明治30年代には、笑いの多い滑稽噺(こっけいばなし)が寄席の主流を占めるようになりました。これに対して、三遊亭圓朝(さんゆうていえんちょう)以来の本格的な話芸の継承をはかろうと、落語研究会が発足します。大正時代には落語界の東西交流が盛んになり、笑いの多い上方落語が次々と東京落語に移入されました。

またレコードの発達により、大正から昭和10年代にかけてはSP盤で人気を得る落語家も現れます。さらに大正14年(1925年)に開局したラジオ[現在のNHKラジオ]でも落語の放送が始まりました。これにより、人々が寄席に足を運ばなくなるのではと心配した興行界と放送局の間に多少のトラブルが生じましたが、放送が落語家への興味を増すことになり、かえって客足が伸びる結果となりました。

しかし関東大震災(大正12年[1923年])や昭和初期の不景気、太平洋戦争(昭和16年〜昭和20年[1941年〜1945年])は落語界に打撃を与えました。戦時色が濃くなると、遊廓を舞台とした廓噺(くるわばなし)など、時局にふさわしくないと落語家たちが自主判断した落語53席を、「禁演落語」として口演しないという動きも起きました。

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