大衆芸能編 寄席

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講談の歴史

講談本の流行と放送

明治中期には、口演速記が新聞に連載され、単行本にもなりました。また少年向けの講談本も大人気となりました。名人上手といわれる講釈師も登場しますが、大正時代になると、興行面ではふるわなくなっていきます。

「立川文庫」

「立川文庫」

速記術の発達とともに口演の速記が新聞に連載されたり、単行本として発行されたりするようになりました。速記の口演をした講釈師の実演を聞いてみようと、今まで寄席に親しんでいなかった人々が釈場に足を運んだのも一因となって、明治30年代の釈場[講釈場]もまだまだにぎわいを見せていました。

また明治末期からは、講談の物語を少年向けの読み物として文庫化した「立川文庫(たつかわぶんこ)」が発行されました。立川文庫は、講談の世界を少年たちに身近なものとしました。少年向けの講談は人気が高く、複数の出版社から出版されています。

2代目広沢虎造(ひろさわとらぞう)の浪曲でよく知られている『清水次郎長伝(しみずじろちょうでん)』を、虎造よりも前に口演し抜群の人気を誇った3代目神田伯山(かんだはくざん)や、政治講談で一世を風靡(ふうび)した初代伊藤痴遊(いとうちゆう)など、名人上手といわれる講釈師も登場しました。

しかし、大正時代には、講談界や釈場にかつての勢いは見られなくなりました。

大正14年(1925年)にラジオ[現在のNHKラジオ]が開局した際には、公序良俗にかなうものとして講談は数多く放送されましたが、昭和10年代には落語や浪曲の人気に逆転されてしまいます。

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