大衆芸能編 寄席

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講談の歴史

小屋掛けの講釈場

江戸時代になって平和が訪れると、大名に軍記物語を読み聞かせた御伽衆(おとぎしゅう)は職を失い、神社の境内や盛り場で口演を始めました。そして京、大坂、江戸に太平記(たいへいき)読みや講釈師が現れ、町人も講釈を聞けるようになりました。

『絵本御伽品鏡』3巻(国立国会図書館所蔵)京乙-414

『絵本御伽品鏡』3巻
長谷川光信 画
太平記の講釈に耳を傾ける人々

江戸時代になって平和な世が訪れると、大名に軍談を講釈する御伽衆は職を失い、神社の境内や盛り場で口演するようになりました。大坂では、天和元年(1681年)に天満天神(てんまてんじん)境内で、『太平記』を読んだ記録が残っています。また貞亨4年(1687年)には、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)が『徒然草(つれづれぐさ)』を講釈していますが、その際に京の講釈師・原栄宅(はらえいたく)が共演したといいます。

元禄期(1688年~1704年)には、赤松法印(あかまつほういん)と同じ赤松一族である赤松青龍軒(あかまつせいりゅうけん)が原昌元(はらしょうげん)と名乗って、江戸堺町によしず張りの小屋をこしらえて軍書を読みました。また同時期に、大坂には赤松梅龍(あかまつばいりゅう)がいたとも伝わっています。さらに名和清左衛門(なわせいざえもん)が、浅草見附の寺で人を集めて『太平記』を読んだのもこの頃で、彼は軍書を毎日読み続け、大いに繁盛しました。これが町講釈の始まりといわれています。

享保期(1716年~1736年)頃には、神田伯龍子(かんだはくりゅうし)が大名旗本の家で軍記を読み聞かせる軍書講談を行いました。彼は町人宅に招かれても断ったといいます。同時期には、霊全(りょうぜん)が浅草寺(せんそうじ)境内によしず張りの小屋を設けて辻講釈を行い、たいへん繁盛したということです。

御伽衆(おとぎしゅう)

大名の側近くで書物の講釈や話し相手をする役割の人。多くは学者や僧侶がなる

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辻講釈(つじこうしゃく)

野外で軍談などを聞かせて、聴衆からお金をもらうこと

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