大衆芸能編 寄席

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奇術の歴史

娯楽としての手妻(てづま)・手品

江戸時代には手妻や手品という言葉が定着します。小屋掛けの興行も行われ、将軍の前で演じる人気手妻師も現れました。江戸後期には寄席にも進出します。また解説本も発売されました。

『信西古楽図』(東京藝術大学大学美術館所蔵)EH02118_021

『信西古楽図』
中国の幻術「入馬腹舞」。子どもが馬の尻から体内に入って口から出てくるというもの

『西鶴独吟百韵自註絵巻』 呑馬術を行っているところ。実際には、背景に黒幕などが必要だったと考えられる

『西鶴独吟百韵自註絵巻』
呑馬術を行っているところ。実際には、背景に黒幕などが必要だったと考えられる

江戸時代には手妻や手品という言葉が定着していきました。小屋掛けの興行が公認され、評判となる手妻師も現れました。

都右近(みやこうこん)は4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)に、江戸城で手妻を披露しています。中に何も入っていないことを観客に確認させた3つの筒を重ねて、その中からさまざまな物を取り出すという現在でも行われている手品などを披露しています。

塩屋長次郎(しおやちょうじろう)は、馬を飲み込んでいくように見せる「呑馬術(どんばじゅつ)」で人気を集めました。これは黒幕や照明などを使う大掛かりなものだったと推測されています。

釜やつづらの中に閉じ込められた人物が一瞬にして外に出るという、現在も行われる脱出術も、江戸時代にはすでに行われています。また手先の技術を使った手妻も発達しました。紙で作った蝶を扇であおいで舞い飛ぶように見せる「蝶の曲(ちょうのきょく)」は柳川一蝶斎(やながわいっちょうさい)によって完成されました。

風俗も取り締まった天保の改革(天保12年~14年[1841年~1843年])が頓挫(とんざ)すると、江戸の町に一挙に寄席が増えました。すると出演者の不足を補うために手妻師も寄席に出演するようになりました。落語の合間などに演じるので、大がかりで派手なものよりも、コンパクトな芸が喜ばれました。

手妻が身近なものとなるに従って、庶民の間にも演じてみたいという欲求が高まりました。それを受けて、江戸時代には手妻の解説本が次々と発売されています。

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