大衆芸能編 寄席

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芸能全体

激動の時代の娯楽

関東大震災以後、東京の寄席は減少を続けます。ラジオの演芸番組は寄席の経営にさらに悪影響を及ぼすと思われましたが、新たな客層を産みました。次第に戦時色が濃くなってくると、演芸界にも影響が現れました。

ラジオと演芸
大阪朝日新聞 昭和5年12月10日 「口を封印した初代桂春團治」 所属芸人のラジオ出演を禁じていた吉本興業に無断で、ラジオに出た桂春團治。吉本は罰として春團治の財産を差し押さえたが、春團治は「自分の最大の財産は口だ」と自ら口を封じるパフォーマンスを行う。その写真が新聞に掲載されて話題になり、寄席は大入りに。ラジオが寄席への関心を高める存在であることを証明した事件だった

大阪朝日新聞 昭和5年12月10日
「口を封印した初代桂春團治」

関東大震災(大正12年[1923年])と昭和初期の不景気により、東京の寄席は減少を続けました。大正14年(1925年)に開局したラジオ[現在のNHK]で落語や浪曲などの番組が始まると、大衆はそれで満足し、寄席に足を運ばなくなるのではという心配が起きました。大阪では落語家をラジオに出演させないように、寄席側が妨害する騒動も起きています。ところが逆にラジオに出演した芸人の芸を生で聞きたいという現象が起こり、寄席の客足が伸びるというプラスの効果が生まれました。


右の図版は、所属芸人のラジオ出演を禁じていた吉本興業に無断で、ラジオに出た桂春團治(かつらはるだんじ)です。吉本は罰として春團治の財産を差し押さえましたが、春團治は「自分の最大の財産は口だ」と自ら口を封じるパフォーマンスを行います。その写真が新聞に掲載されて話題になり、寄席は大入りに。ラジオが寄席への関心を高める存在であることを証明した事件でした。

戦時下の演芸

明治半ばから昭和半ばまでの日本は戦争とともにありました。時代を映す鏡である芸能は戦争も題材としました。その多くは戦争に異を唱える庶民感情が表れたものでした。ところが日中戦争以後は戦意高揚のために芸能を利用する動きが強まります。演芸界もそれに従わざるを得ませんでした。落語や講談では戦時下にふさわしくないとする演目を選び、口演を禁じる自主規制を行い、浪曲界では愛国浪曲が作られました。また落語、漫才、浪曲、講談、太神楽曲芸などの戦地慰問も盛んに行われました。さらに戦局が悪化すると空襲で亡くなる芸人や焼失する寄席も現れました。

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