大衆芸能編 寄席

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芸能全体

文明開化と芸能

明治政府は寄席で演劇に似た行為を行うのを禁止したり、芸人に税金を課したりして、芸能を統制しました。また都市に地方出身者が集まり、客層も変化しました。それにより人気となる芸能の内容にも変化が現れました。

明治政府の統制
『東京改良演芸会之図』 梅堂国貞 作 明治22(1889)年 日本橋蛎殻町に建設された大劇場「友楽館」の様子

『東京改良演芸会之図』
梅堂国貞 作 明治22(1889)年
日本橋蛎殻町に建設された大劇場「友楽館」の様子

近代化を急ぎたい明治政府は、劇場や寄席などで風俗を乱す内容を演ずることや、灯りを消して客席を真っ暗にすることを禁止しました。これにより客席を暗くして幽霊を出す怪談の演出ができなくなりました。また芸人に特別な税金を課しました。寄席よりも税金を多く払う劇場を優遇するために、寄席で演劇に類似した行為を行うことも禁じたため、落語は芝居噺もできなくなりました。その結果、お囃子や背景の助けを借りずに話術だけで演じる素噺の技術が向上するきっかけとなりました。

地方出身者と大衆芸能
『俳優落語三十六家撰』音曲はなし ヘラヘラ坊萬橘 初代三遊亭円遊 萬橘 守川周重 筆 明治14年(1881年) 法界坊を演じる4代目中村芝翫、おくみを演じる4代目中村福助

『俳優落語三十六家撰』音曲はなし
ヘラヘラ坊萬橘
初代三遊亭円遊 萬橘
守川周重 筆
明治14年(1881年)
法界坊を演じる4代目中村芝翫、おくみを演じる4代目中村福助

『東京名所写真帖』浅草公園第六区の賑ひ
明治43年(1910年)7月 寄席をはじめ娯楽施設の立ち並ぶ浅草は、明治~昭和初期の東京を代表する繁華街だった

『東京名所写真帖』浅草公園第六区の賑ひ 明治43年(1910年)7月
寄席をはじめ娯楽施設の立ち並ぶ浅草は、明治~昭和初期の東京を代表する繁華街だった

明治時代は東京や大阪に地方出身者が続々と集まるようになりました。それにつれて大衆の好みも変化し、都市の芸能として栄えていた落語や講談にも影響を与えました。東京の場合、落語では人情噺(にんじょうばなし:人間の情を描いた感動的な噺)より滑稽噺(こっけいばなし:「落ち」と笑いのある噺)が好まれ、初代三遊亭円遊(さんゆうていえんゆう)のステテコ踊りなどの珍芸も人気を得るようになります。また講談の内容を節とセリフで、より分かりやすく演じる浪花節(なにわぶし)の人気が高まり、ついには講談と浪花節の人気が逆転してしまいました。

芝居噺(しばいばなし)

歌舞伎のようにセリフを七五調で言ったり、立廻りを見せたりする噺

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落ち[下げ]

落語の本題の最後を洒落や語呂合わせや機転の利いた言葉で締めくくる文句

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