大衆芸能編 寄席

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芸能全体

講釈場と寄せ席

話芸にたずさわる人が増すにつれて、観客を集めて料金を取り、話芸を楽しませる常設の施設が作られるようになりました。これを寄せ場、あるいは寄せと呼びました。現在の寄席はこの流れを受け継いでいます。

さまざまな寄席の誕生
『累井筒紅葉打敷』 山東京伝 作 歌川豊国 画 盛り場に設けられた釈場で『太平記』の講釈を聞く人々

『累井筒紅葉打敷』
山東京伝 作 歌川豊国 画
盛り場に設けられた釈場で『太平記』の講釈を聞く人々

江戸時代後期の天明・寛政期(1781年~1801年)には落語のほか、講釈、浄瑠璃小唄、手妻(てづま)、説教歌祭文、ものまねづくしなどの演芸が流行しました。これらを自宅に招いて宣伝をして客を集め、料金を取る者も現れました。観客を寄せ集めることから、人寄せ場という意味でこれを寄せ場といい、さらに略して寄せと言うようになりました。この中で講釈専門の寄席は講釈場、あるいは釈場という言い方が一般的です。講釈場については天明・寛政期よりも30年ほど前の宝暦期(1751年~1764年)に、すでに馬場文耕(ばばぶんこう)という講釈師が毎晩興行を行ったという記録が残っています。

落語の寄席興行と職業落語家
『粋興奇人伝』 山東京伝 作 歌川豊国 画 江戸時代の高座の様子

『粋興奇人伝』
山東京伝 作 歌川豊国 画
江戸時代の高座の様子

江戸の落語の寄席は、大坂の落語家岡本万作(おかもとまんさく)が寛政3年(1791年)に江戸に来て、駕籠屋の2階で興行を催したのが始まりとされています。万作は、寛政10年(1798年)にも、やはり江戸でより大掛かりな寄席興行を打ちます。

そして同じ年、もとは櫛(くし)職人であった初代三笑亭可楽(さんしょうていからく)も、浅草柳稲荷前で寄席興行を催しています。その後も修業を重ねて大成した可楽は、江戸の職業落語家の始まりとされています。

浄瑠璃(じょうるり)

三味線を伴奏にした語り物。義太夫節・常磐津節・清元節・新内節などの流派がある

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小唄(こうた)

幕末に端唄から派生した三味線歌曲。端唄と比べてはやくさらっとした演奏が特徴

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説教(せっきょう)

仏教の教えを人々に語り伝えること

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歌祭文(うたざいもん)

三味線を伴奏にして心中事件など、世間のニュースを歌ったもの

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駕籠屋(かごや)

人を乗せる駕籠を担ぐ駕籠かきが待機する場所、駕籠かきを取りまとめている商売

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