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組踊の歴史

組踊の展開

組踊の伝承に励む、若い研修生達
第3期組踊研修生 国立劇場おきなわ

組踊伝承の危機と再興

組踊は、18世紀初頭から19世紀中期にかけて、中国からの冊封使(さくほうし)を歓迎する琉球の歌舞劇として、琉球王府の中で誕生し発展しました。
明治維新で新政府は、廃藩置県を行いました。その時の琉球処分で琉球王国は解体されます。これまで御冠船踊(おかんせんおどり)を支えてきた士族達は、職を失い、組踊は継承の危機に陥りました。このため、組踊の上演の場は、琉球王府から那覇の町の芝居小屋へと移り、当時新しく誕生した沖縄(ウチナー)芝居と共に伝承されることになりました。この時期に沖縄の離島を含む各地方にも組踊が伝わりました

大正から昭和初期にかけては、玉城盛重(たまぐすくせいじゅう)などが古典組踊などを伝承しました。昭和に入ると新たな琉球史劇や映画などが台頭し、組踊の公演はほとんど途絶える時期が続きました。さらに、太平洋戦争が始まると、沖縄は日本でただひとつの地上戦が行われて焼け野原となり、多くの命と共に文化財や資料も失いました。戦後、沖縄はアメリカの統治下に置かれましたが、熱意ある人々によって沖縄の伝統芸能である組踊を復興する活動が続けられました。

このように、たび重なる伝承の危機を乗り越えてきた組踊は、1972年の沖縄の本土復帰に際し国の重要無形文化財に指定され、2004年には組踊などの沖縄の伝統芸能の保存振興を目的とした国立劇場おきなわが開場し、定期的に組踊が上演されるようになりました。先達から脈々と受け継がれてきた組踊の伝承者を育成するため、研修事業も行われ、いまや若い優れた世代が育ちつつあります。
さらに2010年には、ユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載され、世界的な評価を受けるにいたっています。
2013年4月現在、琉球古典音楽の島袋正雄(しまぶくろまさお)、照喜名朝一(てるきなちょういち)をはじめ、城間德太郎(しろまとくたろう)、宮城能鳳(みやぎのうほう)、西江喜春(にしえきしゅん)が、組踊の音楽や舞踊の優れた技芸を伝える重要無形文化財保持者[人間国宝]として活躍しています。

  • 組踊誕生の背景
  • 組踊を創った玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)
    • 江戸上り(えどのぼり)と朝薫の生い立ち
    • 組踊の誕生と「朝薫五番」
  • 組踊の展開
    • 玉城朝薫後の組踊
    • 組踊伝承の危機と再興
  • 地図で見る冊封使(さくほうし)と江戸上(えどのぼり)り
  • 組踊関連年表
 

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