1609年、琉球王国は薩摩藩(さつまはん)[鹿児島]に侵攻され、中国と朝貢[中国皇帝に貢ぎ物を献上すること]関係のある王国としての地位を保ちながら、薩摩藩の支配を受けるようになりました。
以来、徳川将軍と琉球国王が代替りするたびに、琉球王府は使節を江戸幕府に派遣しました。これを「江戸上り」といい、使節は薩摩藩に従って江戸[東京]まで旅をしました。
音楽を奏でながら行列をする使節の一行は、通過する各地で歓迎を受け、江戸城や薩摩藩江戸屋敷では「御座楽(おざがく)」と呼ばれる音楽や舞踊などの芸能を披露しました。
江戸上りの期間は半年から1年にも及び、その間、一行は能楽をはじめ歌舞伎など当時京都や大坂[大阪]、江戸で流行していた芸能から多くのものを学びました。