沖縄は、琉球王国成立以前、中山(ちゅうざん)、北山(ほくざん)、南山(なんざん)という3つの国に分かれていました。その1つ、中山国の国王である察度(さっと)が1372年に中国へ朝貢[中国皇帝の家臣として国交を結び、貢ぎ物を献上すること]を行ったことから中国との国交が始まります。
1429年、中山国が三山を統一して琉球王国が誕生した後も、中国への朝貢は引き続き行われました。
朝貢関係により、歴代の中国王朝は、琉球国王死去の報せを受けると、冊封使を琉球へ派遣しました。冊封使の任務は、先代の国王の葬儀「諭祭(ゆさい)」と、新しい国王を任命する「冊封」です。冊封使の一行は、正使・副使が医師や天文学者、兵士、乗員、船大工など技術者数百人を率いてやってきました。
冊封使一行は、春に南西の季節風を利用して福州(ふくしゅう)から帆船で琉球にやってきて、帰路は、秋の東北の季節風を待って帰国していたので4ヵ月から8ヵ月の長期間、琉球に滞在しました。
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