黒船忠右衛門(くろふねちゅうえもん)

頭巾と下駄のいでたちは、歌舞伎役者・姉川新四郎(あねがわしんしろう)の工夫でした。

黒船忠右衛門は芝居の登場人物名ですが、モデルは、根津四郎右衛門(ねづのしろうえもん:本名は住吉屋四郎右衛門[すみよしやしろうえもん])という大坂堂島(どうじま)の米仲仕(こめなかし:川船から米をあげ運ぶ人足)です。真田幸村(さなだゆきむら)に仕えた根津甚八(ねづのじんぱち)の子孫と称していた四郎右衛門は、男気に富む侠客(きょうかく)として広く知られた人物です。

享保年間(1716~1736年)、大坂北浜で米切手(こめきって:蔵屋敷で蔵米の売却にあたって発行した米の保管証明書)強奪事件があり、それを四郎右衛門が取り返すという出来事がありました。この一件を当時の代表的歌舞伎役者・初代姉川新四郎が、四郎右衛門を「黒船忠右衛門」と名づけ、歌舞伎に仕組みました。姉川頭巾(あねがわずきん)と呼ばれる頭巾を被り、下駄を履いて喧嘩(けんか)に臨むいでたちを考案したのは新四郎で、新四郎の黒船忠右衛門は当たり役となり、再演を繰り返します。

寛延元年(延享5年[1748年])、人形浄瑠璃『容競出入湊(すがたくらべでいりのみなと)』が大坂豊竹座で初演されました。寛保3年(1743年)歌舞伎『黒船一世一代男(くろふねいっせいちだいおとこ)』が大坂、中の芝居姉川新四郎座で上演され、「男伊達(おとこだて)狂言」を好む大坂の土地柄、これら「黒船物」が大いに人気を博したのです。

黒船忠右衛門
『侠客銘々伝』より「黒船忠右衛門」

翻刻:この人、船乗りを業とす。その船、黒塗りなるをもて、世に黒船忠右ェ門といふ。性、剛気にして、仁者の風あり。子分五郎八が事に付いて獄門庄兵衛を討ち、自ら名のりて、その罪を訴たふ。しかるに獄門が遺言と、その剛気とを憐れみ、命を佐(たす)け、遠流に処せらるるといふ。

現代語訳:この人は、船乗りで、その船が黒塗りであったことから、黒船忠右衛門と呼ばれました。性格は剛気でした。子分の罪をかぶり、自首して出ましたが、お上も忠右衛門の義心を察し、死罪をまぬがれさせ、遠流に処せられました。

図版:『侠客銘々伝(おとこだてめいめいでん)』(弘化5年[1848年]) 松亭金水 作
(立命館大学アート・リサーチセンター所蔵)


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