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地図でひもとく人形浄瑠璃『夏祭浪花鑑』の舞台となった町々は、上演当時どんなところであったか、また同じ場所の現在は。作品世界がより身近に感じられます。

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大坂城周辺
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物語の内本町

「内本町(うちほんまち)」は、東横堀の東側にあたります。大坂城を取り囲んでいた惣構(そうがまえ:外堀のこと)の内側にあるので、船場(せんば)の本町通と区別し、「内」本町としました。

舞台写真
平成19年(2007年)9月
国立劇場小劇場 第160回文楽公演
『夏祭浪花鑑』第四:内本町道具屋の段
手代清七 実は 玉島磯之丞:吉田清之助 現・[5]豊松清十郎
番頭伝八:吉田簑二郎
田舎侍 実は 三河屋義平次:吉田玉也
公演記録写真(Y_D0100160003001)

現在の内本町

内本町は中央大通と松屋町筋の交わる付近、大阪城公園からは西に400メートルほどのところです。近くに大阪府庁や大阪府警などの官庁街を控えたオフィス街で、付近は問屋や商社などが集まっています。阪神高速および地下鉄谷町四丁目駅にも近く、大阪のビジネスの中心地のひとつといえます。内本町のほかにも、惣構の内側にあった町には内平野町、内淡路町、内久宝寺町など「内」がつけられています。

物語の田島町

「たしまちょう」と濁らずに読みます。空堀(からほり)を谷町筋(たにまちすじ)から西へ入った南向きの最初の路地辺りをさします。高津神社(こうづじんじゃ)にも隣接しており、釣船三婦(つりふねさぶ)の家とも気軽に行き来できる距離だったと考えられます。さまざまな職業を持つ庶民が暮らす、下町の風情がある町でした。

舞台写真
平成19年(2007年)9月
国立劇場小劇場 第160回文楽公演
『夏祭浪花鑑』第八:田島町団七内の段
団七九郎兵衛:[3]桐竹勘十郎
一寸徳兵衛:吉田玉女
写真:青木信二

現在の田島町

谷町筋から西側、昔の田島町付近は空堀(からほり)地区といわれており、現在は全長800メートルに及ぶ、アーケード付きの商店街を中心に広がる商業地区です。大阪の中心部にありながら戦災を逃れたため、一歩路地を入れば古い建物が多く残っていて、古い長屋を改装した店なども見られます。大規模な建物があまりなく、下町の風情を残す庶民的な商業地で、江戸時代町人の町であった名残が感じられます。

物語の安居の森[安井天満宮・安井神社]

創建は不詳ですが、少彦名神(すくなひこなのかみ)が祀られています。また、天慶5年(942年)から菅原道真(すがわらのみちざね)が祀られるようになったとの社伝があります。道真が太宰府へ流される際に休息したところから「安居」と呼ばれるようになったと伝えられます。大坂夏の陣で真田幸村(さなだゆきむら)が境内で討死したといわれ、碑が建立されています。また、古来名水として有名な「安居の清水」[かんしづめの井]跡などがあります。

舞台写真
平成19年(2007年)9月
国立劇場小劇場 第160回文楽公演
『夏祭浪花鑑』第五:道行妹背の走書
娘お中:吉田玉英
手代清七 実は 玉島磯之丞:吉田清之助 現・[5]豊松清十郎
公演記録写真(Y_D0100160004031)

現在の安居の森[安井天満宮・安井神社]

大阪の町を南北に走る上町台地の西側、谷町筋と松屋町筋に挟まれた7つの坂を「天王寺七坂」と呼んでいます。この周辺には神社や寺院が多く、安井神社はその南の端にある天神坂(てんじんざか)と逢坂(おうさか)の間に位置します。それぞれの坂は石畳で、立地は都心でありながら昔をしのばせる静けさが漂います。名水として知られたかんしづめ[癇静め]の井戸は現在モニュメントとして再現されています。

物語の長町

長町は、現在の日本橋(にっぽんばし)区域を指す地名です。江戸時代は、東西を田畑に挟まれて大坂市街の南のはずれであるところから、紀伊・和泉に通じる出入り口になっていました。さらに昔は周囲一帯は海辺であり、名呉(なご:名児・名護)の浜と呼ばれていました。細長く連なる町の形から、「名呉町」が「長町」に転じたといいます。大坂の南の出入り口だった長町には、旅籠(はたご)が軒を並べており、傘職人が多く住んでいました。

舞台写真
平成19年(2007年)9月
国立劇場小劇場 第160回文楽公演
『夏祭浪花鑑』第七:長町裏の段
団七九郎兵衛:[3]桐竹勘十郎
写真:青木信二

現在の長町

太平洋戦争後の復興期、日本橋(にっぽんばし)は小さな露店が立ち並ぶ市場となり、なかでも電気製品の部品を扱う店が増えていきました。これをきっかけとして、この周辺は大阪一の電気街として発達を遂げました。今でも堺筋を中心にショッピングセンター、電器店、パソコンショップなどが集まり、にぎやかな大繁華街を形成しています。堺筋を南に進めばすぐに、大阪のシンボル・通天閣が見えてきます。

物語の高津神社

三婦の家のすぐ近くであったと考えられる高津神社は、もと大坂城付近にあったものを豊臣秀吉(とよとみひでよし)が現在の場所に移したといいます。磐舟山(いわふねやま)という小高い丘の上に位置し、西側崖からの眺望は大坂随一といわれていました。絵馬堂の下には老舗の黒焼屋[イモリやヘビなど動植物を黒く焼いたものを薬として売る店]があり、高津の名物だったといいます。他にも湯豆腐の有名店、珍しい草木を集めた植木屋など、1日の市内行楽にはちょうどよく、庶民に親しまれた神社でした。

舞台写真
平成22年(2010年) 7月
国立文楽劇場 第119回文楽公演
『夏祭浪花鑑』第六:釣船三婦内の段
釣船三婦:桐竹紋壽
こっぱの権:吉田玉志
なまの八:吉田一輔
写真:青木信二

現在の高津神社

上町台地の西側、谷町筋と松屋町筋に挟まれた「天王寺七坂」から、北に進んだところです。高津神社を囲む辺りは比較的閑静な住宅地で、現在は建物に遮られて昔のような眺望はなくなっています。境内に向かう坂のうち、南北から上って一カ所に合わさる「相合坂」は縁結びの坂といわれています。落語「高津の富」で知られる富くじは現在も、2月の初午の日などに行われます。名物だった黒焼屋は戦前まで営業していました。


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