『絵本太功記』は時代物のなかでも屈指の名作・大曲です。人形浄瑠璃の現行曲の中でも「尼ヶ崎の段」は、上演頻度が非常に高い人気曲です。音曲的には、義太夫節の主な節が、満遍なく取り入れられているといわれています。冒頭の「残る莟(つぼみ)の花ひとつ、水上げかねし風情にて…」で、戦場へ向かう武智光秀(たけちみつひで)の子息・十次郎(じゅうじろう)の初陣での討ち死にを覚悟した憂いを表現します。十次郎は、父の罪を償うために命を捨てる決意ですが、それが初陣であるところに痛ましさがあります。十次郎と婚約者・初菊(はつぎく)の祝言(しゅうげん)の盃が今生(こんじょう)の別れの盃となってしまう、この若いふたりの切なさの描写も難しいところです。その上、祖母・さつき、母・操(みさお)、それぞれの辛い思いが重なり合い、聴きどころが続きます。旅の僧に姿を変えた真柴久吉(ましばひさよし)の詞(ことば)は短いながら品格が要求されます。後半の山場は、凄(すご)みを帯びた光秀の登場です。瀕死(ひんし)のさつきは、「主を殺した天罰」を説き、妻・操の「クドキ[口説き] 」では、善心に返ってほしいと願います。手負いの十次郎の敗戦の「物語」。死にゆくさつきと十次郎を見送らなくてはならない、操と初菊の悲痛な叫び。これらの犠牲の上にしか、自分の大義の達成は成り立たないという光秀の苦悶。ついに光秀も激しく涙を流す「大落し」となります。主殺しに加えて、母親殺し、息子の討ち死にと、光秀一家の悲劇は極めて深刻ですが、語りは、それぞれの人物の悲しみや情愛を表現しながらも、停滞することなく早いテンポでさらさらと、事件の展開を伝えていきます。場面は光秀の「物見」の「木登り」や久吉との対面、と急展開し、ドラマはクライマックスを迎えます。逆臣となって苦悩する「英傑の志をもった」光秀の敗退の宿命を予感した、心の暗部を的確に描写する必要があります。