歌舞伎編「黙阿弥」

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TOP > 取り巻く人々 > 狂言作者(竹柴其水)
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取り巻く人々

狂言作者 竹柴其水(弘化4年[1847年]~大正12年[1923年])

経歴と特色

3代目歌川国貞画
代表作『神明恵和合取組』
(左)四つ車大八に扮する4代目中村芝翫
(右)め組辰五郎に扮する5代目尾上菊五郎

 江戸の大工の子に生まれ、京橋の材木商の養子となりましたが、明治の初めに12代目守田勘弥(もりたかんや)のもとに身を寄せ、3代目桜田治助(さくらだじすけ)の門弟となり熨斗進三(のししんぞう)を名乗ります。明治6年(1873年)に黙阿弥(当時2代目河竹新七[かわたけしんしち])門下に移籍して竹柴進三(たけしばしんぞう)と改めます。明治17年(1884年)、立作者(たてさくしゃ)となり、同20年(1887年)に黙阿弥の俳名(はいみょう:俳句の筆名)の其水(きすい)を譲られ、大正期(1912年~1926年)まで多くの作品を執筆します。現在も上演される『神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)』(明治23年[1890年])などを残しました。

黙阿弥との関わり

 其水は黙阿弥の作風を受け継いで多くの作品を執筆しただけでなく、その誠実な人柄から黙阿弥の信頼があつく、黙阿弥没後に家を継いだ娘の糸(いと)の後見人役を任されます。日本では明治20年(1887年)に現在の著作権法に当たる版権条例が成立し、歌舞伎の台本にも版権や上演権が生じましたが、其水は黙阿弥作品にも認められたこうした権利の管理実務を遺族に代わって行うなど、黙阿弥が亡くなった後の河竹家を支えました。

主な作品

『神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)』(明治23年[1890年])
『皐月晴上野朝風(さつきばれうえののあさかぜ)』(明治23年[1890年])
『遠山桜天保日記(とおやまざくらてんぽうにっき)』(明治26年[1893年])
『会津産明治組重(あいづさんめいじのくみじゅう)』(明治27年[1894年])

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