歌舞伎編「黙阿弥」

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TOP > 取り巻く人々 > 歌舞伎俳優(5代目尾上菊五郎)
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取り巻く人々

歌舞伎俳優 5代目 尾上菊五郎(天保15年[1844年]~明治36年[1903年]) 屋号:音羽屋(菊五郎襲名より前は橘屋)

経歴と芸の特色

豊原国周画
『島鵆月白浪』
明石の島蔵に扮する5代目尾上菊五郎

 本名は寺島清(てらじまきよし)。幼名は九郎右衛門(くろうえもん)。俳名は梅幸(ばいこう)・梅寿(ばいじゅ)。江戸三座のひとつである市村座の太夫元(たゆうもと:興行の代表責任者)であった12代目市村羽左衛門(いちむらうざえもん)の次男として生まれ、嘉永4年(1851年)正月、8歳で13代目の太夫元になりました。一時は役者名として同時に4代目市村家橘(いちむらかきつ)を名乗りますが、慶応4年(1868年)8月に太夫元を弟に譲り、自らは5代目尾上菊五郎を襲名して劇場経営から手を引きました。役者としてはとくに世話物(せわもの)と舞踊(ぶよう)に優れ、9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)とともに「團菊(だんきく)」、また初代市川左團次(いちかわさだんじ)を加えて「團菊左(だんきくさ)」と称されます。養子に6代目尾上梅幸(おのえばいこう)、実子に6代目尾上菊五郎がおり、どちらも父の芸を良く受け継いで、明治から昭和の名優となりました。

黙阿弥作品との関わり

 黙阿弥とは、とくに世話物、散切物(ざんぎりもの)、舞踊の優れた作品をともに生み出しています。そしてその多くが、現在も歌舞伎の代表作として知られています。14歳で演じた『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』(安政4年[1857年])の蜆(しじみ)売り、19歳で初演した『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』(文久2年[1862年])の弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)は、5代目菊五郎の出世作であると同時に、黙阿弥の作品全体のなかでも印象的な役です。
 ほかにも世話物では『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう)』(明治6年[1873年])の髪結新三(かみゆいしんざ)、『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』(明治14年[1881年])の片岡直次郎(かたおかなおじろう)、『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』(明治19年[1886年])の道玄(どうげん)と梅吉(うめきち)など、散切物では『島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)』(明治14年[1881年])の明石の島蔵(あかしのしまぞう)、『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』(明治18年[1885年])の筆屋幸兵衛(ふでやこうべえ)などを初演しています。舞踊は『土蜘(つちぐも)』(明治14年[1881年])、『茨木(いばらき)』(明治16年[1883年])、『戻橋(もどりばし)』(明治23年[1890年])などを初演し、いずれも菊五郎の家の芸「新古演劇十種(しんこえんげきじっしゅ)」に加えられています。

コラム

 5代目菊五郎はたいへんな凝り性であったといわれています。朝起きたときから劇場へ出勤するまでの段取りがすべて決まっていて、その通りでないと嫌がったとか、扮装が思ったように整わないと幕を開けさせないので幕間(まくあい:休憩時間)が長かったとか、数々の話があります。現在『青砥稿花紅彩画』「浜松屋(はままつや)の場」の弁天小僧菊之助は5代目の型で演じられますが、その細かく行き届いた段取りに5代目菊五郎の人となりをうかがうことができそうです。

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