歌舞伎編「黙阿弥」

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TOP > 取り巻く人々 > 歌舞伎俳優(3代目澤村田之助)
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取り巻く人々

歌舞伎俳優 3代目 澤村田之助(弘化2年[1845年]~明治11年[1878年] 屋号:紀伊国屋

経歴と芸の特色

3代目歌川豊国画
『国性爺合戦』
錦枡女に扮する3代目澤村田之助

 幼名は由次郎(よしじろう)、俳名は曙山(しょざん)。3代目助高屋高助(すけたかやたかすけ、のちの5代目澤村宗十郎[さわむらそうじゅうろう])の次男。幼くして父を亡くしながらも、子役時代から評判を取り、16歳の若さで女方(おんながた)役者としては最高位の立女方(たておやま)となりました。その後、美貌と実力で幕末江戸歌舞伎界を代表する女方として活躍していましたが、人気絶頂時に舞台上での怪我が原因となって病に冒されます。そして、四肢を次々に切断するという不幸に見舞われながらも、亡くなる前年まで舞台に立ち続けました。田之助が得意としていたのは、美しく妖艶でありながらも平然と悪事を働く悪婆(あくば)という役柄で、活達な江戸女性の気風を写す女方芸を受け継いだ役者でした。

黙阿弥作品との関わり

 田之助の才能を早くから見抜いていた黙阿弥は、彼のために世話物を中心とする10数点の作品を提供しています。最初の提携作品は、元治元年(1864年)守田座『處女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)』の切られお富(きられおとみ)役で、悪婆を代表する役のひとつとなりました。田之助が手足を切るきっかけとなった元治2年(1865年)守田座『魁駒松梅桜曙微(いちばんのりめいきのさしもの)』での欠皿(かけざら)役の後も、四肢を失いながらも舞台に立ちたいとの望みに応えて、黙阿弥は作品を提供し続けます。ふたりの関係は、田之助最後の大劇場出演となった明治5年(1872年)村山座『国性爺姿写真鏡(こくせんやすたがのうつしえ)』まで続きました。不自由な身体を持つ田之助は黙阿弥という作者によって活かされ、また黙阿弥も田之助という特異な役者によって女方芸の新しい可能性を追求したのです。

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