歌舞伎編「黙阿弥」

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TOP > 作品の特色 > 新時代へ対応(能取物/松羽目物)
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作品の特色

新時代へ対応

散切物

活歴物

能取物/松羽目物

4代目歌川国政画
能取物の舞踊劇『紅葉狩』

 題材を主に能・狂言から取り、衣裳[能では装束]・小道具なども能・狂言に準じたものを使って行う歌舞伎舞踊の一種で、「本行物(ほんぎょうもの)」ということもあります。特に「松羽目物」は大道具も能舞台をまねて、上手(かみて:向かって右側)に臆病口、下手(しもて:向かって左側)に5色の揚幕(あげまく)をかけ、正面には能舞台の鏡板(かがみいた)と同じように大きな老松を描きます。ちなみに能舞台では鏡板のことを松羽目とは呼びません。

能・狂言からの影響

 松羽目は江戸時代から、儀式的に「式三番叟(しきさんばそう)」を上演する時などに歌舞伎でも使われていたようです。また狂言の舞は、特に歌舞伎の初期の踊りに影響を与えており、能から題材を取って作られた歌舞伎の舞踊劇は、「石橋物(しゃっきょうもの)」をはじめとして数多くあります。しかし、そうしてつくられた作品は題材を原作のまま取り入れるというよりは、江戸時代の人々の好みで味をつけアレンジして楽しむものでした。明治期(1868年~1912年)以降の歌舞伎で多く作られた能取物・松羽目物の舞踊劇は、能・狂言の様式や作品の内容をなるべく元に近い形で取り入れようとしている点に違いがあります。

はじめての松羽目物『勧進帳(かんじんちょう)』

 明治期以降の松羽目物に直接つながるのは、3 代目並木五瓶(なみきごへい)が書いて5代目市川海老蔵(いちかわえびぞう、前名は7代目市川團十郎[いちかわだんじゅうろう])が天保11年(1840年)3月に初演した『勧進帳』です。5代目海老蔵はこの作品で、松羽目の背景を用いました。黙阿弥はこの初演の際、まだ若く目立たない存在でしたが、5代目海老蔵のプロンプターを舞台で巧みにつとめて認められました。『勧進帳』は、のちに5代目海老蔵の子である9代目市川團十郎によって演出が洗練され、伴奏の長唄(ながうた)も名曲であることから、現在まで歌舞伎の作品全体の中でも上演回数が多い人気作になっています。

明治時代以降

 明治期以降の歌舞伎で上演される能取物・松羽目物は、能・狂言の様式や内容を原型に近い形で取り入れるようになります。それは当時の日本社会の上流階級の人たちや、歌舞伎の上演に関わっていた人たちが、歌舞伎は高尚な娯楽であってほしいと考え、当時すでにそう見なされていた能・狂言を後追いした結果でもありました。
 9代目團十郎とそのライバルであった5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)はその志向に合わせるように、それぞれ多くの能取物・松羽目物を初演しています。黙阿弥作では、明治14 年(1881年)に5代目菊五郎が『土蜘(つちぐも)』を上演したあと、9代目團十郎は『釣狐(つりぎつね)』(明治15年[1882年])、『船弁慶(ふなべんけい)』(明治18年[1885年])、5代目菊五郎は明治16年(1883年)に『茨木(いばらき)』を初演しています。また、題材は能・狂言から取り入れ、演出を従来の歌舞伎により近づけた舞踊劇に『紅葉狩(もみじがり)』(明治20年[1887年])があります。これらの作品は、黙阿弥の舞踊劇における代表作となります。

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