歌舞伎編「黙阿弥」

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TOP > 作品の特色 > 新時代へ対応(散切物)
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作品の特色

新時代へ対応

散切物

活歴物

能取物/松羽目物

豊原国周画
『霜夜鐘十字辻筮』

 明治期(1868年~1912年)以降の急激に変化する日本の社会の中で登場した制度、もの、職業などを登場させながら、新しい時代風俗の中で生きる人々を描こうとした作品群を「散切物」と呼びます。「散切」とは、月代(さかやき)を剃って丁髷(ちょんまげ)に結うのをやめ、髪を襟元で切って後ろになでつける、明治期初めに流行した男性の髪型のことです。この髪型は文明が開化した新時代の人々の思想を形で表したものでもありました。散切物は歴史上の人々ではなく、作品が書かれたのと同じ時代に生きる人々の暮らしや気持ちを題材にしていることから、大きく分ければ世話物の一種とされます。

背景

 散切物のはじまりは、明治5年(1872年)11月京都で初演された、佐橋富三郎(さばしとみさぶろう)という作者の書いた『鞋補童教学(くつなおしわらべのおしえ)』と『其彩色陶器交易(そのいろどりとうきのこうえき)』です。東京では翌年、黙阿弥によって書かれ、5代目坂東彦三郎(ばんどうひこざぶろう)が主演した『東京日新聞(とうきょうにちにちしんぶん)』という作品が最初とされています。セリフの中に、新聞など当時のさまざまな事物が織りこまれ、また、最新の情報ツールであった電信で事件の事実を伝える筋は、当時としては新しいものでした。

黙阿弥の作品

 黙阿弥の書いた散切物は、ほかにたとえば『人間万事金世中(にんげんばんじかねのよのなか)』(明治12年[1879年])、『霜夜鐘十字辻筮(しもよのかねじゅうじのつじうら)』(明治13年[1880年]、雑誌「歌舞伎新報」連載作品)、『島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)』(明治14年[1881年]、黙阿弥が一旦の作者引退を発表した作品)、『水天宮利生深川(すいてんぐうめぐみのふかがわ)』(明治18年[1885年])、『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』(明治21年[1888年])などがあります。はじめての雑誌連載作やひとまずの引退披露作というような、節目にあたる作品が散切物で書かれているのは、同時代のできごとを歌舞伎にしたいという狂言作者・黙阿弥の意欲のあらわれでしょうか。

経過

 世話物を得意とした5代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)は、9代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)が手がけた活歴物と対抗するように、黙阿弥の書いた散切物を多く初演しています。その中には、新聞などでさかんに報道された事件と裁判を扱ったものもありました。そうした作品には、同時代の事件を、場合によっては解決がつかないうちに取り上げることから生まれる生々しさや、必ずしもそれまでの歌舞伎の定型にはまらない人物が出てくるおもしろさがあります。しかし散切物は、歌舞伎の主流にはなりませんでした。そして役者も演技の方法も違う「新派(しんぱ)」と呼ばれる「新演劇(しんえんげき)」が明治20年代に出現し、同じような題材を扱いながら独自のスタイルを作りあげていきました。

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