和尚吉三(おしょうきちさ)の父親、土左衛門伝吉には2人のモデルがいます。
1人は宝暦期(1751年~1764年)の男伊達(おとこだて)、土左衛門伝吉です。享保期(1716年~1736年)に、成瀬川土左衛門(なるせがわどざえもん)という大変太った角力取り(すもうとり)がいました。溺死者(できししゃ)のことを「土左衛門」と言うのは、膨(ふく)らんだ死体を成瀬川の体型に見立ててのことですが、伝吉も太っていたために「土左衛門」とあだ名されるようになったのです。この土左衛門伝吉が、八百屋お七の世界に取り込まれ、お七の窮地(きゅうち)を救う役どころとして定着しました。
もう1人は文化期~天保期(1804年~1844年)頃に実在した、元船頭(せんどう)の道心者(どうしんじゃ:仏道に帰依した人)です。この男は、江戸で水死体[土左衛門]を引き上げては埋葬し、その塔婆(とうば)を立てて念仏供養(ねんぶつくよう)をしました。本名は不明ですが、当時の江戸ではこの道心者は広く知られていたといいます。『三人吉三廓初買』の上演はそれより3、40年のちのことですが、八百屋お七の世界でおなじみの伝吉の「土左衛門」という異名にちなみ、黙阿弥はこの道心者を作中に登場させたのでしょう。
お嬢吉三は女装の盗賊ですが、その特異な半生は「吉祥院(きちじょういん)」において「他人を親に旅役者、越後粂三(えちごくめさ)と名に呼ばれ、娘姿で歩いたを、女と間違ひ口説かれた、とこからふっと筒持たせ(つつもたせ)。悪い事は慣れやすく」と説明されています。お嬢吉三は八百屋・久兵衛(きゅうべえ)の子ですが、幼い時に誘拐されて旅役者となりました。旅役者が振袖姿で美人局(つつもたせ:夫婦が共謀し行う恐喝や詐欺行為)をする設定は、岩井かほ世(いわいかおよ)という女方(おんながた)にまつわる事件に基づいています。
かほ世は、文化期(1804年~1818年)末頃に5代目岩井半四郎(いわいはんしろう)の弟子として江戸の芝居に出演しましたが、以前は旅芝居の役者でした。美濃(みの:現在の岐阜県)へ旅芝居へ行った時、博奕(ばくち)に負けて衣裳・鬘(かつら)を差し押さえられますが、金の無心(むしん)に出た際に辻堂(つじどう)で雨宿りをし、かほ世を女と間違えた商人に見初められます。そこで商人をたぶらかして金を貰い、衣裳などを質受けしたというのです。
かほ世は一説によると、越後(えちご:現在の新潟県)出身で、3代目瀬川路考(せがわろこう:文化期に活躍した名女方)のような美貌(びぼう)を誇ったことから「越後路考(えちごろこう)」とあだ名されました。お嬢吉三のセリフに「越後粂三と名に呼ばれ」とあるのは、かほ世こと「越後路考」と、お嬢吉三を演じた3代目岩井粂三郎(いわいくめさぶろう)の名の当て込みです。かほ世の事件は直接聞いたとして6代目市川団蔵(いちかわだんぞう)の手記に記録されていますから、幕末の劇壇(げきだん)では知られた話だったのでしょう。黙阿弥はそれをもとに、旅役者出身の盗賊というお嬢吉三のキャラクターを考案したのです。